君 が 僕 以外 の 人 を いつか 選ん で しまっ て さ 歌詞。 B’z「いつかのメリークリスマス」 歌詞の意味

映画『君の名前で僕を呼んで』と原作小説『君の名前で僕を呼んで』の比較(ネタバレありの感想)

君 が 僕 以外 の 人 を いつか 選ん で しまっ て さ 歌詞

昨年の夏、というタイトルでnoteを書き始めたのですが、前半(5選)で力尽き、いつか書こうと思っていた後半を置き去りにしたままほとんど1年が経過してしまいました。 なんともう、初夏です。 また今年も渚には新しいナンバー溢れていくよ。 ……というわけで、大変遅くなりましたが、後半の5選を含めた 「ポルノグラフィティの美しい歌詞10選(完全版)」です。 80年代後半~ゼロ年代生まれの人たちは基本的に、GTOのオープニングやらポカリのCMやらコナンの映画やら、好むと好まざるとに関わらずどこかしらでポルノグラフィティの楽曲に触れて育ってきたはずです。 最近あんまり聴いてないな、という人も、なんなら昨日アミューズフェス行ってきたよという人にとっても、この記事がポルノの魅力を再確認するきっかけになってくれたらこんなに嬉しいことはありません。 筆者は10数年ポルノグラフィティを追いかけてきましたが、あくまでいちファンのライターです。 独断と偏見が大いに含まれていることをご了承の上、お読みいただけたら、と思います。 「ポルノグラフィティの歌詞で印象的なフレーズを教えてください」というアンケートを1億人にとったら、おそらくこれが1位になるんじゃなかろうか。 そのくらい有名な、ポルノの歌詞を代表する黄金の1行がこの 『アゲハ蝶』(2001年)のラストだ。 初期のポルノのほとんどの曲の歌詞を書いているギタリストの新藤晴一は、複数のインタビューの中でアゲハ蝶の詞を「書き直したい」と話している。 彼は、自分の書いた歌詞にOKを出す基準を一度たりとも「下げたり、変えたりしたことはない」と公言しながらも、やはり昔の曲は拙く思えるのか、「(アゲハ蝶は)技巧に走りすぎている」としばしば言う。 ポルノの歌詞は言葉数が多いのが特徴だけれど、『アゲハ蝶』も例外ではない。 ブレスなしで畳みかけるようなボーカル・岡野昭仁の歌い方と相まって、聴いているこちらまで息が苦しくなるみたいだ。 歌人の佐藤真由美さんの短歌に、 今すぐにキャラメルコーン買ってきて そうじゃなければ妻と別れて というのがある。 用法的には『アゲハ蝶』とこの短歌はほぼ同じで、日常的な要求のあとに突如「え?」と思うような要求を連ねるというもの。 並列するふたつの願いのうち前者があまりに無邪気なので、その直後に突きつけられる「別れて」のあまりの切実さに、受け手であるこちらはハッとさせられてしまう。 ここまでは想定通りなのに、最後の最後になって 「できたら愛してください」というひと言が、思わず口から零れてしまったかのように飛び出すのだ。 この飛躍は鮮やかとしか言いようがない。 ライヴでは「Everybody say…」の煽りに合わせてお客さんが「Fu-Fu! 」と叫ぶ、定番のC&Rソング。 オリジナルは2000年発売のファーストアルバムに収録されている。 当時のポルノはまだまだとんがっていて 「トーキョーで売れてやるぜ!」感満載だったので、歌詞もいま読むとちょっと笑ってしまうくらい、かなり「狙って」いる。 Everybody! キャッチー、を辞書で引いたら出てきそうなリリックだ。 当時のポルノの歌詞には「おいヒットソング、愛をなめてんじゃねーよ」的フレーズが頻発する。 上に挙げた『Century Lovers』の歌詞は、すべてがパンチラインのようなこの曲の歌詞の中でも特にキザで格好いい。 とにかく始めから終わりまで、ポルノの若さを堪能できる歌詞だ。 ポルノのラブソングを語る上で欠かせない要素のひとつに、「自己犠牲」がある。 ポルノが歌う愛はいつでも、盲目的なまでに献身的で力強い。 「あなたのためなら命も捨てる」と言わんばかりの一心不乱さは、部分的に切りとって見るとやや演歌チックなのだけれど、そのあとに続く歌詞がむしろすごくポルノらしいのだ。 けれど、ポルノの詞の主人公は、「あなた」に愛される(かもしれない)対象である「自分」も、完全には捨てきれないのだ。 そんな自己犠牲とエゴイズムのせめぎ合いが、彼らの歌詞の中には素直に表れる(考えてみると作詞者の新藤晴一はこの相反する2つの感情(理想/エゴ)を『ロマンチスト・エゴイスト』と名づけてファーストアルバムのタイトルにしてしまっているのだからすごい)。 だからか、アルバム曲なのにやけに知名度が高い。 しかしこれは本当に掛け値なしの名曲です。 ……話はすこし飛ぶけれど、フランスの詩人・シュペルヴィエルに 『場所を与える』という詩がある。 (中略)人間がいなくなれば、さぼてんはまた植物に戻るだろう。 君を逃れようとする根本に、何も見てはいけない。 眼も閉じたまえ。 草を君の夢の外に生えさせたまえ。 ここに書かれているのは、意訳すれば「風景はきみなしでも成り立ってるってことを認めるべきだぜ」ということだと思う。 自然や芸術など、なにか圧倒的なものを前にしたときに、それを無理に言葉にしようとするのは野暮な行為だ。 だからこそ『パレット』の詞は、 「自然に介入すること」「表現すること」に潔く白旗を上げる。 曲の終わり、アウトロでは「ラララ…」という晴れやかなスキャットが続く。 あんまり派手ではないけれど、大好きな曲のひとつ。 自分の人生の主役は自分でしかありえない、というのは、新藤晴一が書く歌詞の一貫したテーマだ。 ……アグレッシブだけれど、晴一は歌詞の中で「キミの未来は明るいよ」と無責任に歌いあげることは絶対にしない。 彼の詞はただ、「いま、この世界」から逃げることを力強く容認する。 応援歌には、「前に進む」ことを歌うものと、「過去を切り離す」ことを歌うもののふたつがあるとして、ポルノの(特に晴一の)歌詞はいつでも後者だ。 だからこそ美しいと思ってしまう。 昭仁は基本的にシンプルな言葉で詞を書く人なのに、突如「!」というフレーズが飛び出るので目が離せない。 晴一の歌詞、特にラブソングには「こんなに愛しているのに」というナルシシズムが感じられるのに対して、昭仁の歌詞の「愛」はもうすこし等身大だ。 『夕陽と星空と僕』(2003年)は、『愛が呼ぶほうへ』のカップリング曲。 ファン投票で1位に選ばれたこともある壮大なバラードで、歌詞も切なく、美しい。 特にサビが白眉だ。 「誤解」や「すれ違い」といった月並みな言葉ではなく、愛や恋を文字通り、かたちあるものに例えてしまうセンスは凄まじい。 ポルノにはエロティックな歌詞も少なくない。 けれど、情事を歌っても、妖艶なのに決して下品にならないのが凄いところ。 ……にも関わらず、いやらしい生々しさを感じないのは、ベッドシーンにおいて必要以上に具体的な、「エロい」言葉を意図して使っていないからだ。 それでも、ベッドの上での行為そのものを描くときは、スッと一歩「引いて」描写する。 これについて私から言えることはもう、ない。 ただただ「ずるい」歌詞だと思う。 古臭いと分かっていて、そんな自分に酔っている。 本当にずるい。 嫌えないじゃないか、ばかにしやがって。 好きな人に好きと言うだけで何故こんなにも大変なのだろう……。 名前のないもの(時には概念)に「名前をつける」というのも、ポルノの歌詞の特徴的なモチーフだ。 晴一はかつて、2006年発表のエッセイ『自宅にて』の中で、歌詞や文章を書く理由について、こんな風に綴っている。 この感覚は歌詞にも色濃く表れていて、彼の詞の中ではしばしば「恋心」が自分には制御できない、意思を持った生き物のように描かれる。 それは「恋」が、あまりに痛みを伴う辛いものであるからに他ならない。 その結果、聞き手は「切ない」「悲しい」と主人公に言われるよりもずっと切実なものとして、「恋心」の独白に耳を傾けてしまう。 片思いを表現するのに、「僕」を主語にしない。 叙景詩的な描き方だからこそ、この詞は美しくて、切ない。 この曲について、歌詞については言いたいことがたくさんあるのだけれど、言葉を尽くそうとすればするほど嫌になってくる。 ポルノの歌詞における「時間」の概念については、おそらく『ハネウマライダー』のこの部分が分かりやすい。 他の誰かと、例えば君と、触れ合った瞬間に、歯車が噛みあって時間を刻む。 この瞬間は続くと! タモリさんはこの部分をかつて「生命の最大の肯定」だと言って褒めたけれど、『愛が呼ぶほうへ』も近しいことを歌っている。 美しい。 もうこれ以上言えることなんてなにもないじゃないか。 私たちにできるのは、ただポカンと口を開けて、『愛が呼ぶほうへ』の天国的なストリングスに耳を澄ますことだけだ。 ……余談だけれど私は全世界に存在する楽曲の中で『愛が呼ぶほうへ』が最も好きなので、死んだらこの曲を流してください、といまのうちに書き記しておきます。 つい新藤晴一さん中心の歌詞論になってしまいましたが(ごめんなさい)、ほんとうは岡野さんの歌詞についてももっともっと語りたいことがたくさんあります。 それはまたいずれ文章にすると思います。 『フィルムズ』の1番と2番の使いかたの完璧さだとか、『素敵すぎてしまった』はノーベル歌詞タイトル賞を受賞すべきだとか、あらゆる余談もそのときに譲ります。 独断と偏見にまみれた長文をここまで読んでくださった方には、感謝しかありません。 ありがとうございました。

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IZ*ONE 君以外 歌詞

君 が 僕 以外 の 人 を いつか 選ん で しまっ て さ 歌詞

気分次第です僕は 敵を選んで戦う少年 叶えたい未来も無くて 夢に描かれるのを待ってたそのくせ未来が怖くて 明日を嫌って過去に願ってもう如何しようも無くなって叫ぶんだ 明日よ明日よもう来ないでよって そんな僕を置いて 月は沈み陽は昇る けどその夜は違ったんだ 僕は君の手を 空へ舞う 世界の彼方 闇を照らす魁星 「君と僕もさ、また明日へ向かっていこう」 夢で終わってしまうならば 昨日を変えさせて なんて言わないから また明日を君とこうやって 笑わせて あれから世界は変わったって 本気で思ったって 期待したって変えようとしたって 未来は残酷で それでもいつだって君と見ていた 世界は本当に綺麗だった 忘れてないさ 思い出せるように仕舞ってるの 君がいてもいなくても翔べるなんて妄想 独りじゃ歩くことさえ僕はしないまま藍色の風に吐いた幻想 壊してくれって願って踠いたって 願ったんなら叶えてしまえやって Eh... 君は言って また明日の夜に 逢いに行こうと思うが どうかな君はいないかな それでもいつまでも僕ら一つだから またねSky Arrow笑ってよう 未来を少しでも君といたいから叫ぼう 今日の日をいつか思い出せ 未来の僕ら ひいらぎの解釈 僕は、気分次第に敵を選んで戦っている少年。 叶えたい未来なんてなくて、勝手に夢に描かれるのを待ってるだけ。 そのくせ未来は怖くて、明日は嫌って、過去に縋って もうどうしようもなくなって叫んだんだ 明日なんてもう来ないでくれよって この曲の主人公「僕」は戦場で戦っている少年です。 戦ってるといっても、敵を選んで、自分の戦いたい相手だけと戦っています。 ここでいう戦いたい相手というのは、自分が苦労せず勝てる相手なのでしょう。 つまり、勝てる相手だけを選んで、自分勝手に戦っているだけなのです。 未来に希望なんて持てなくて、ただただ誰かが描いてくれる夢を待ってるだけ。 その待ってる間も、自分の勝てる戦しかしない、そんな臆病者の自分を歌っているようです。 誰かに夢を描いてもらいたいなんて思いながらも、その未来は怖い。 これだけ自分を臆病だと思っているのですから、仕方ありません。 そんな自分を変えることもできずに、どうすることもできず、 明日なんて来ないでくれと叫んでいます。 この曲はこんな未来を疎みまくっている主人公を巡る曲なのです。 君が僕の手を取っていったんだ。 先ほど、僕は明日を嫌っていました。 明日なんか来ないでくれよと願っています。 それでも、明日が来ないことなんてあるわけがなく、いつものように明日はきてしまうのです。 だけど、ここで新しい登場人物:君が現れます。 僕は普段1人で夜明けを迎えていたのでしょう。 しかし、その夜はいつもと違って、君が現れた。 そして、君は僕の手を取ったのです。 空へ舞う 世界の彼方 闇を照らす魁星 「君と僕もさ、また明日へ向かっていこう」 夢で終わってしまうのならば 昨日を変えさせて なんて言わないから また明日も君とこうやって 笑わせて ひいらぎの解釈 世界の彼方の空を舞う、空には闇を照らす一番星が輝いている 僕は言う「君と僕も、また明日へ向かって生きていこう」 夢で終わってしまうなら、辛かった昨日を変えたい そんなこと言わないから、また明日も君とこんな風に笑いたい 魁星とは北斗七星の第1星から第4星、北斗七星を柄杓になぞらえた時、水を汲み取る部分の星々のことを言います。 それ以外にも試験で一番を取った人という意味もあります。 ただここでは、闇の中で光り輝く一番星、のような意味合いで使われているのではないでしょうか。 僕はいつも通りの日常から急に君がやってきたことから、明日へ向かって生きていきたいと話します。 それまで過去に縋って生きるしかなかった僕が、明日、つまり未来へ向けての希望を見せるのです。 どうしようもなくいきていた昨日を変えたい、なんてそんな無理なことは言わない。 だから未来は君と一緒に笑いあって生きてみたい 君に出会ったことで、こんな風に心変わりがあったのでしょう。 ひいらぎの解釈 君と出会ってから世界は変わったって、本気でそう思っていた 期待したって変えようとしたって、期待した未来は残酷で それでもいつだって君と見ていた世界は本当に綺麗だった その綺麗さは忘れてなんていないよ、いつでも思い出せるように仕舞ってるだけ 僕は君と出会ってからの世界は変わったと本気で思っていました。 それまでの希望の見えない未来から、君と見る素晴らしい世界に変わったと。 しかし未来は冷酷にも残酷で。 期待したってそんな簡単に世界が変わるわけもなくて。 君と出会ってからの世界もこれまで同様酷いものだったのでしょう。 それでも君と見ていた世界は綺麗なままでした。 それは君と一緒に見ていたから。 君が隣にいたからです。 忘れることなんてなくて、僕にとって大事な思い出として心の中に仕舞っています。 きっと僕に取って、君と見た景色は掛け替えのないものなのでしょう。 君がいてもいなくても翔べるなんて妄想 独りじゃ歩くことさえ僕はしないまま藍色の風に吐いた幻想 壊してくれって願って踠もがいたって 願ったんなら叶えてしまえやって Eh... 君は言って ひいらぎの解釈 君がいてもいなくても翔べるなんて妄想だよ 君がいない、独りの状態では、僕は歩くことさえしないままで 孤独な風に君と一緒だったらと吐いた妄想だったんだ 君もいないこんな世界なら僕を壊してくれと願って、腕をもがいてしまったってできるわけもなくて 願ったなら叶えて仕舞えばいいのに、なんて君は僕に言ったんだ 僕は君と一緒に翔ぶことを知ってしまい、独りで翔ぶ怖さを知ってしましました。 君がいなくたって、思い出さえあれば翔ぶことができると思っていましたが、そんなことはあるはずもなく。 君がいなくなってしまい、独りになった僕は歩くことさえできないままで、 独りでなんでもできるなんて、孤独で潰れそうになった僕の吐いた妄想だったと気づいてしまいます。 独りの辛さに気づいてしまった僕は、君がいないようなこんな世界なら、僕を壊してしまって欲しいと。 もう何もできないなら、腕をもがいてしまって欲しいと願います。 でもそんなこともできるわけがなく、独りで進むことを選んでしまうのでした。 そんな願いを聞いた君は、「願ったんだったら叶えればいいのに」 なんて、涼しい顔で僕に語りかけます。 また明日の夜に 逢いに行こうと思うが どうかな君はいないかな それでもいつまでも僕ら一つだから またね Sky Arrow 笑ってよう 未来を少しでも君といたいから叫ぼう ひいらぎの解釈 また明日の夜にでも会いに行ってみようかななんて思うけど、 やっぱり君はいないのかな それでも、君がいなくなっても僕と君はずっと一つだから 笑っていよう 未来を君といたいと願うから、未来に向かって叫ぼう 先ほどの歌詞の中で、君は僕に向かって、壊れてしまいたいならそうすればいいのにと声をかけます。 しかし僕は、まだ君がいるかもしれないこの世界なら生きてみようと決意します。 僕は明日の夜にでも君に会いに行ってみようと思っています。 君はいないかもしれないと思いながら。 それでも僕は君と一緒だから笑って翔んでいよう、と。 独りで翔ぶことの恐怖を克服したのでした。 未来は君といたいと願って、未来に希望を持っているのです。 この曲の中で、主人公:僕は君というかけがえのない相手に出会って、別れて、それでもその思い出を胸に未来に希望を持つようになりました。 アスノヨゾラ哨戒班とは、君を見つけるためにアスノヨゾラ=未来を見て回るということなのではないでしょうか?.

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IZ*ONE 君以外 歌詞

君 が 僕 以外 の 人 を いつか 選ん で しまっ て さ 歌詞

昨年の夏、というタイトルでnoteを書き始めたのですが、前半(5選)で力尽き、いつか書こうと思っていた後半を置き去りにしたままほとんど1年が経過してしまいました。 なんともう、初夏です。 また今年も渚には新しいナンバー溢れていくよ。 ……というわけで、大変遅くなりましたが、後半の5選を含めた 「ポルノグラフィティの美しい歌詞10選(完全版)」です。 80年代後半~ゼロ年代生まれの人たちは基本的に、GTOのオープニングやらポカリのCMやらコナンの映画やら、好むと好まざるとに関わらずどこかしらでポルノグラフィティの楽曲に触れて育ってきたはずです。 最近あんまり聴いてないな、という人も、なんなら昨日アミューズフェス行ってきたよという人にとっても、この記事がポルノの魅力を再確認するきっかけになってくれたらこんなに嬉しいことはありません。 筆者は10数年ポルノグラフィティを追いかけてきましたが、あくまでいちファンのライターです。 独断と偏見が大いに含まれていることをご了承の上、お読みいただけたら、と思います。 「ポルノグラフィティの歌詞で印象的なフレーズを教えてください」というアンケートを1億人にとったら、おそらくこれが1位になるんじゃなかろうか。 そのくらい有名な、ポルノの歌詞を代表する黄金の1行がこの 『アゲハ蝶』(2001年)のラストだ。 初期のポルノのほとんどの曲の歌詞を書いているギタリストの新藤晴一は、複数のインタビューの中でアゲハ蝶の詞を「書き直したい」と話している。 彼は、自分の書いた歌詞にOKを出す基準を一度たりとも「下げたり、変えたりしたことはない」と公言しながらも、やはり昔の曲は拙く思えるのか、「(アゲハ蝶は)技巧に走りすぎている」としばしば言う。 ポルノの歌詞は言葉数が多いのが特徴だけれど、『アゲハ蝶』も例外ではない。 ブレスなしで畳みかけるようなボーカル・岡野昭仁の歌い方と相まって、聴いているこちらまで息が苦しくなるみたいだ。 歌人の佐藤真由美さんの短歌に、 今すぐにキャラメルコーン買ってきて そうじゃなければ妻と別れて というのがある。 用法的には『アゲハ蝶』とこの短歌はほぼ同じで、日常的な要求のあとに突如「え?」と思うような要求を連ねるというもの。 並列するふたつの願いのうち前者があまりに無邪気なので、その直後に突きつけられる「別れて」のあまりの切実さに、受け手であるこちらはハッとさせられてしまう。 ここまでは想定通りなのに、最後の最後になって 「できたら愛してください」というひと言が、思わず口から零れてしまったかのように飛び出すのだ。 この飛躍は鮮やかとしか言いようがない。 ライヴでは「Everybody say…」の煽りに合わせてお客さんが「Fu-Fu! 」と叫ぶ、定番のC&Rソング。 オリジナルは2000年発売のファーストアルバムに収録されている。 当時のポルノはまだまだとんがっていて 「トーキョーで売れてやるぜ!」感満載だったので、歌詞もいま読むとちょっと笑ってしまうくらい、かなり「狙って」いる。 Everybody! キャッチー、を辞書で引いたら出てきそうなリリックだ。 当時のポルノの歌詞には「おいヒットソング、愛をなめてんじゃねーよ」的フレーズが頻発する。 上に挙げた『Century Lovers』の歌詞は、すべてがパンチラインのようなこの曲の歌詞の中でも特にキザで格好いい。 とにかく始めから終わりまで、ポルノの若さを堪能できる歌詞だ。 ポルノのラブソングを語る上で欠かせない要素のひとつに、「自己犠牲」がある。 ポルノが歌う愛はいつでも、盲目的なまでに献身的で力強い。 「あなたのためなら命も捨てる」と言わんばかりの一心不乱さは、部分的に切りとって見るとやや演歌チックなのだけれど、そのあとに続く歌詞がむしろすごくポルノらしいのだ。 けれど、ポルノの詞の主人公は、「あなた」に愛される(かもしれない)対象である「自分」も、完全には捨てきれないのだ。 そんな自己犠牲とエゴイズムのせめぎ合いが、彼らの歌詞の中には素直に表れる(考えてみると作詞者の新藤晴一はこの相反する2つの感情(理想/エゴ)を『ロマンチスト・エゴイスト』と名づけてファーストアルバムのタイトルにしてしまっているのだからすごい)。 だからか、アルバム曲なのにやけに知名度が高い。 しかしこれは本当に掛け値なしの名曲です。 ……話はすこし飛ぶけれど、フランスの詩人・シュペルヴィエルに 『場所を与える』という詩がある。 (中略)人間がいなくなれば、さぼてんはまた植物に戻るだろう。 君を逃れようとする根本に、何も見てはいけない。 眼も閉じたまえ。 草を君の夢の外に生えさせたまえ。 ここに書かれているのは、意訳すれば「風景はきみなしでも成り立ってるってことを認めるべきだぜ」ということだと思う。 自然や芸術など、なにか圧倒的なものを前にしたときに、それを無理に言葉にしようとするのは野暮な行為だ。 だからこそ『パレット』の詞は、 「自然に介入すること」「表現すること」に潔く白旗を上げる。 曲の終わり、アウトロでは「ラララ…」という晴れやかなスキャットが続く。 あんまり派手ではないけれど、大好きな曲のひとつ。 自分の人生の主役は自分でしかありえない、というのは、新藤晴一が書く歌詞の一貫したテーマだ。 ……アグレッシブだけれど、晴一は歌詞の中で「キミの未来は明るいよ」と無責任に歌いあげることは絶対にしない。 彼の詞はただ、「いま、この世界」から逃げることを力強く容認する。 応援歌には、「前に進む」ことを歌うものと、「過去を切り離す」ことを歌うもののふたつがあるとして、ポルノの(特に晴一の)歌詞はいつでも後者だ。 だからこそ美しいと思ってしまう。 昭仁は基本的にシンプルな言葉で詞を書く人なのに、突如「!」というフレーズが飛び出るので目が離せない。 晴一の歌詞、特にラブソングには「こんなに愛しているのに」というナルシシズムが感じられるのに対して、昭仁の歌詞の「愛」はもうすこし等身大だ。 『夕陽と星空と僕』(2003年)は、『愛が呼ぶほうへ』のカップリング曲。 ファン投票で1位に選ばれたこともある壮大なバラードで、歌詞も切なく、美しい。 特にサビが白眉だ。 「誤解」や「すれ違い」といった月並みな言葉ではなく、愛や恋を文字通り、かたちあるものに例えてしまうセンスは凄まじい。 ポルノにはエロティックな歌詞も少なくない。 けれど、情事を歌っても、妖艶なのに決して下品にならないのが凄いところ。 ……にも関わらず、いやらしい生々しさを感じないのは、ベッドシーンにおいて必要以上に具体的な、「エロい」言葉を意図して使っていないからだ。 それでも、ベッドの上での行為そのものを描くときは、スッと一歩「引いて」描写する。 これについて私から言えることはもう、ない。 ただただ「ずるい」歌詞だと思う。 古臭いと分かっていて、そんな自分に酔っている。 本当にずるい。 嫌えないじゃないか、ばかにしやがって。 好きな人に好きと言うだけで何故こんなにも大変なのだろう……。 名前のないもの(時には概念)に「名前をつける」というのも、ポルノの歌詞の特徴的なモチーフだ。 晴一はかつて、2006年発表のエッセイ『自宅にて』の中で、歌詞や文章を書く理由について、こんな風に綴っている。 この感覚は歌詞にも色濃く表れていて、彼の詞の中ではしばしば「恋心」が自分には制御できない、意思を持った生き物のように描かれる。 それは「恋」が、あまりに痛みを伴う辛いものであるからに他ならない。 その結果、聞き手は「切ない」「悲しい」と主人公に言われるよりもずっと切実なものとして、「恋心」の独白に耳を傾けてしまう。 片思いを表現するのに、「僕」を主語にしない。 叙景詩的な描き方だからこそ、この詞は美しくて、切ない。 この曲について、歌詞については言いたいことがたくさんあるのだけれど、言葉を尽くそうとすればするほど嫌になってくる。 ポルノの歌詞における「時間」の概念については、おそらく『ハネウマライダー』のこの部分が分かりやすい。 他の誰かと、例えば君と、触れ合った瞬間に、歯車が噛みあって時間を刻む。 この瞬間は続くと! タモリさんはこの部分をかつて「生命の最大の肯定」だと言って褒めたけれど、『愛が呼ぶほうへ』も近しいことを歌っている。 美しい。 もうこれ以上言えることなんてなにもないじゃないか。 私たちにできるのは、ただポカンと口を開けて、『愛が呼ぶほうへ』の天国的なストリングスに耳を澄ますことだけだ。 ……余談だけれど私は全世界に存在する楽曲の中で『愛が呼ぶほうへ』が最も好きなので、死んだらこの曲を流してください、といまのうちに書き記しておきます。 つい新藤晴一さん中心の歌詞論になってしまいましたが(ごめんなさい)、ほんとうは岡野さんの歌詞についてももっともっと語りたいことがたくさんあります。 それはまたいずれ文章にすると思います。 『フィルムズ』の1番と2番の使いかたの完璧さだとか、『素敵すぎてしまった』はノーベル歌詞タイトル賞を受賞すべきだとか、あらゆる余談もそのときに譲ります。 独断と偏見にまみれた長文をここまで読んでくださった方には、感謝しかありません。 ありがとうございました。

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