人でも殺めてきたんか。 誰も答えられない?「なぜ人を殺してはいけないのか」 その理由を弁護士7人に聞いてみました

FINAL FANTASY XIV, The Lodestone

人でも殺めてきたんか

目次(Contents)• 【警告】本記事を読む前の注意事項 本記事は、取り扱っているテーマゆえ、思わず 人間不信 になるような 絶望的な人間描写 が多々あるかもしれない。 それゆえ、人間の良心を信じたい心の優しい人間は、狼としての人間の本性に迫った過酷な描写に耐えられなくなることがあるかもしれないので、くれぐれも注意してほしい。 というわけで、以下、 覚悟のある者だけ 読み進むようにしてほしい! 小学生の子供の質問に答えられない大人の悩み 先日「はてな匿名ダイアリー」にて、小学生の子供の質問に答えられない大人の悩みが話題になっていた。 hatelabo. というのも、彼女は、オンラインゲームでPK(プレイヤーキル。 )をしまくって遊んでいる小学5年生の子供から 「リアルで人を殺しては いけない理由は?」 と聞かれたそうだ。 その子供は、 自分さえ良ければ良い 今さえ良ければ良い という刹那的な考え方の持ち主で、彼女は「人を殺してはいけない理由」を説明するのに散々苦労したそうだ。 例えば、 「自分がされたら嫌でしょ?」 と答えると、 「されないから 嫌じゃないもーんw」 と返され、 「でも、今後そういう危険な目にあうかもしれないよ?」 といえば、 「今まで大丈夫 だったもーんw」 と答えるといった調子だ。 「ふざけんなこの クソ餓鬼がっ!! なめとんのか! ゴルァ!」 と、分別のない大人なら怒鳴って、子供にまともに答えられない、おのれの不甲斐なさをごまかすかもしれない。 だが、よくよく考えてみると、これはかなりの難問であることに気づくだろう。 実際、 「自分がされたら嫌でしょ?」 という理由に対しては、 「死にたいけど 自殺する勇気がないから 人をいっぱい殺して 死刑にしてもらおう!」 という考え方が現実にあり、実際このような考え方に基づいて起こった殺人事件も過去にいくつかある。 また、 「人を殺すなんて 怖いでしょ?」 という理由に対しては、 「そっかあ! 怖くなかったら 人を殺してもいいんだね! 勇敢な軍人さんとか 殺しまくれるじゃん!」 という考え方もあるため、怖い怖くないのレベルの話ではないことに気づく。 また、 「殺された人の 遺族が悲しむでしょ?」 という理由に対しては、 「遺族もいない 天涯孤独の人や 遺族みんなからも 嫌われている人なら 殺してもいいよね!」 という考え方につながるため、これもNGだ。 また、 「法律で禁止されているから」 という理由に対しても、 「法律で禁止されて いなかったら 人を殺してもいい」 という考え方につながる。 実際、戦争時においては、人を殺しても殺人とはみなされておらず、ベトナム戦争中の1968年に、フル装備の米軍兵士が妊婦や乳幼児を含む504人もの南ベトナムの村人を大量虐殺したソンミ村虐殺事件があった。 wikipedia. それゆえ、 法律で禁止されていないから 無防備の民間人を一方的に 虐殺しても許される という考え方も、どこか変だ。 また、 「種の保存のため」 「人類が滅びるから」 という理由もあるが、そもそも人間を含む動物の世界は、 「弱肉強食」という 自然の摂理 に従っており、 生きるために 動物を殺す行為が 日常的に行われている 生きるために殺す行為が許されるなら、なぜ人間を殺してはいけないのか? 実際、PS4の「The Last of Us」というゲームにおいては、荒廃した世界を生き延びるために、主人公のジョエルは、敵に一切容赦せず、警備兵でさえもためらうことなく殺す。 まるでハリウッド映画のような重厚な演出によって、プレイヤーは練り上げられた世界観に一気に引き込まれること請け合いだ。 このゲームにおいて、ジョエルが大量の敵を殺さなければ、少女エリーを守ることができなかっただろう。 だが、ジョエルが 「人を殺してはいけないから」 という理由で何もせず、エリーがただ殺されるのを黙って放置するのが、正しい選択肢だったのだろうか? このように、「人を殺してはいけない理由」というのは、実はかなりの難問なのだ。 だが、今から300年以上も前、この人類史上始まって以来の難問に対する突破口となりうる 斬新な論法 を提示した男がいた。 その男の名は、トマス・ホッブズ。 戦争の恐怖とともに生まれ、 暴力による死 をもたらす 狼としての人間の本性 を説いたイングランドの哲学者だ。 哲学者トマス・ホッブズの斬新な論法 トマス・ホッブズは、 1588年、スペインの無敵艦隊襲来のニュースにショックを受けた母親が産気づいたため、予定よりも早く生まれたという。 それゆえ、彼は、 恐怖とともに生まれた 男と呼ばれている。 戦争の恐怖とともに生まれ、怒り狂った革命勢力の恐怖を目の当たりにし、命からがらフランスに亡命したホッブズにとって、人間の本性は、まさしく狼そのものだったといえるだろう。 だが、ホッブズの人生には、恐怖が始終つきまとって離れることはなかった。 というのも、ホッブズの生きた17世紀半ばのイングランドは、イングランド国王チャールズ一世の横暴な専制政治に怒り狂った議会と国王の対立が深刻化し、つねに内乱と革命の危機にさらされていたからだ。 数あるイングランド貴族の中でも最も影響力をもったデヴォンシャー公爵家に家庭教師として仕えていたホッブズは、絶対王政の支持者とみなされていたため、1640年に身の危険を感じてフランスへ亡命する。 その後、イングランドでピューリタン革命が勃発し、1649年にイングランド国王のチャールズ1世が斬首されると、ホッブズは、亡命先のフランスで代表作となる政治哲学書「リヴァイアサン」を著す。 そして、この「リヴァイアサン」において、ホッブズは当時きわめて 斬新な論法 を提示する。 ホッブズの思考実験 「リヴァイアサン」において、ホッブズは、 とある思考実験 を行った。 その思考実験とは、 人々が守るべき 法律も 従うべき国家も存在せず 原始時代さながらに 各人が 好き勝手に生きる 無法状態 (自然状態) を想定したとき その世界はいったい どのような世界なのか? というものだ。 ここで、このホッブズの論法について、もう少し分かりやすく説明しよう。 ホッブズの論法は、ロジカルかつ明快だ。 例えば、 「この世界にはどうして Aがあるのか?」 という疑問があったとしよう。 ここで、Aとしては、 国家や警察などの 人間が従うべき組織 や 法律や道徳などの 人間が守るべきルール があげられる。 ホッブズの論法の斬新なところは、 「この世界にどうして Aがあるのか?」 という疑問にストレートに答えるのではなく、その逆の場合、すなわち、 「Aのない世界は 一体どんな世界に なるのだろうか?」 を、思考実験で徹底的に考えてみるというものだった。 ここで、Aを 人を殺してはいけないルール としよう。 この場合、 「Aのない世界」 とは、 「人を殺してはいけない」 というルールがない世界 すなわち、 「自由に人を殺してもよい世界」 ということになる。 このような世界を想定したとき、どのような世界になるのだろうか? ここで、現代に生きる我々にも理解しやすいよう、思考の舞台をホッブズの生きた17世紀のイングランドから現代の日本に置き換えて、 簡単な思考実験 を行ってみよう。 「自由に人を殺してもよい世界」はこうなる! 1.公共交通機関の利用が命がけになる 「自由に人殺しをしてもよい」世界が実現すると、間違いなく 無差別テロ が激増する だろう。 なぜなら、どんなに無差別に大量殺人をしたところで、この世界では、 殺人は合法 であるため、警察は見て見ぬふりをして、事実上何もしないからだ。 もちろん、爆発物や機関銃などの武器も、金さえ払えば、誰でも自由に購入することができるようになる。 爆発物を自由に入手できるようになれば、秋葉原の事件のように、無差別殺人に使う者も当然現れるだろう。 「会社を解雇された! 今から爆弾を仕掛けて おまえらを巻き添えにして 死にます!」 などという書き込みが連日のように掲示板を賑わすかもしれない。 そして、あなたが通勤時や通学時に乗る電車やバス、あるいは駅の構内などに爆弾が仕掛けられる可能性もあるのだ。 その結果、あなたは命がけで会社や学校に通わなければならなくなるだろう。 ここで、ひょっとすると、 「いや、 オレ車もってるし 公共交通機関なんて 利用しないから 全然余裕だしw という人もいるかもしれない。 だが、本当に大丈夫だろうか? というのも、昨年10月、政治家の腐敗告発で知られ、租税回避地をめぐる「パナマ文書」の報道に加わった女性ジャーナリストが自動車に爆弾を仕掛けられ、 車を運転中に爆殺された という事件があったからだ。 newsweekjapan. php ちなみに、爆弾が爆発したとき、爆風で車体が道路の外まで吹き飛ばされたそうだ。 このように、あなたの知らないうちに、車に爆弾を仕掛けられて 爆殺される 可能性だってある。 車のような乗り物は安全ではなく、 爆弾魔の絶好のターゲット なのだ! 2.街中も普通に歩けなくなる ところで、次のような意見もあるかもしれない。 「いや、べつに 車なんて使わなくても 普通に歩けば いいだけだろw」 だが、本当にそうだろうか? 「自由に人を殺してもよい」世界では、爆弾だけでなく、 狙撃銃 も自由に入手できるようになるだろう。 そのため、街中を普通に歩いているだけで、狙撃マニアによって撃たれるリスクも増えるかもしれない。 実際、昨年10月1日にアメリカのラスベガスで起こった事件では、ホテルからライフル銃による狙撃により、58人もの大量の人間が殺害され、546人が重軽傷を負った。 bbc. その結果、あなたはもはや 街中を安全に歩く ことさえ できなくなる のだ。 3.Amazonや楽天も利用できなくなる だが、あなたはまだ頑張るかもしれない。 「いや、大丈夫! 街に出られなくても 今はAmazonや楽天のような 便利なサービスもあるし 家に引きこもっていれば 全然余裕じゃんw」 本当にそうだろうか? Amazonや楽天のようなサービスの利用には、宅配業者の利用が不可欠だ。 だが、インターホンが鳴ったとき、ドアの向こう側に立っているのは、宅配業者ではなく、 宅配業者を装った 殺人鬼かもしれない のだ! 実際、昨年2月に起こった多摩の会社員の刺殺事件では、宅配業者を装った容疑者によって会社員が刺殺されている。 iza. html 捜査関係者によると、容疑者は、 「『宅配便です』と インターホンを押し、 被害者が玄関を開けた ところを刺した」 と供述しているそうだ。 また、2008年11月に起こった元厚生事務次官宅連続襲撃事件においても、元厚生事務次官で社会保険庁長官も歴任した吉原健二さん宅に宅配便配達を装った男が侵入し、妻の靖子さんが胸など数カ所を刺されて重傷を負った。 asahi. html 野方署によれば、吉原さん宅を訪れた男が 「宅配便です」 と声をかけたため、靖子さんが玄関のドアを開けたところ、男がいきなり刃物のようなもので切りかかったという。 このように、「自由に人を殺してもよい」世界では、 宅配業者を装った殺人鬼に よって殺されるリスク もあるのだ。 「いや、オレ 宅配ロッカーを 使ってるから 全然大丈夫だしw」 本当にそうだろうか? あなたが宅配ロッカーの中の荷物を取りに玄関から出てくるのを 監視カメラの死角で 殺人鬼が辛抱づよく 待ち構えていない という 保証は どこに ある のだろうか? 4.食事も普通に食べられなくなる 「自由に人を殺してもよい」世界になったとき、食事も普通に食べられなくなるかもしれない。 なぜなら、 料理の中に毒物が混入される 可能性があるからだ。 実際、1998年7月に夏祭りの最中に提供されたカレーの中に毒物のヒ素が混入され、カレーを食べた67人が腹痛や吐き気などを訴えて病院に搬送され、幼児を含む4人が死亡した事件を知っている人もおられるかもしれない。 sankei. html このように、あなたの知らないうちに、誰かが料理の中に毒物を混入する可能性だってありうるのだ! しかも、毒物の混入は、なにも料理が完成した段階に限らない。 食材の生産の時点から毒物を仕込んでおくことだって十分にありうるのだ! 実際、あなたが料理店で料理を注文して、あなたの口元に料理が運ばれてくるまで、食材は下のようなさまざまな業者によって取り扱われる。 これはある意味、驚異的といえるだろう。 だが、逆に考えると、食品に関わっている人間の数が多いだけに、「自由に人を殺してもよい」世界になったとき、これら 善意の連鎖によって かろうじて成立していた 安全が根底から崩れ落ちる のだ! それはちょうど、タワーを構成している1つのブロックが何らかの拍子でバランスを崩したとき、タワー全体がたちまちのうちに崩れ去ってしまう状況に似ているともいえる。 また、「自由に人を殺してもよい」世界においては、人の命にいまほど注意が払われなくなるため、 食品の安全基準も 疎かになりがち だ。 それゆえ、食品添加物なども大量に添加されるようになるだろう。 5.知らないうちに「人肉」を食べる危険性も また、食品中に 人肉が混入される おそれもある。 なぜなら、「自由に人を殺してもよい世界」において、 もっとも安価かつ大量に 仕入れることのできる肉は 人間の肉 になるからだ。 実際、いまの日本においても 1年で数千人もの 人間が 失踪している そうだ。 buzzfeed. rkV9v9kLr. ijwJ7Jgbx それゆえ当然、「自由に人を殺してもよい」世界になった場合、金儲けのために失踪者の人肉を牛肉などと偽って売りさばく人肉業者も出てくるだろう。 その結果、あなたが口にしている料理は、 かつて人間の形をした誰か なのかもしれないのだ! 6.自給自足も安全ではない 「いや、大丈夫! 俺んち農業だし 自給自足で安全な食品を 食っていけるからw」 本当にそうだろうか? というのも、昨年8月、寺坂農園のメロン畑に悪質な犯罪行為があり、メロンハウス6棟が全滅したというニュースが話題になった。 また、この犯人は、メロンハウスの全自動換気装置の設定を狂わせてメロンを高温で焼こうとしたり、メロン畑の換気装置を動かすブレーカーをオフにして換気装置すべてを機能停止状態にしたり、2カ所ある給水栓を半開きにして農業用水をメロン畑に流し込んで水浸しにしたり、ありとあらゆる犯罪行為を行ったそうだ。 その結果、 約6,600玉もの メロンが全滅 して収穫不能になったという。 「自由に人を殺してもよい」世界が実現すれば、このような悲惨な状況が日常的にみられるようになるだろう。 引用 このように、悪質な人間の手にかかれば、 自給自足も決して 安全とはいえない のだ。 7.そして誰も信じられなくなる また、「自由に人を殺してもよい」世界になったとき、あなたは誰も信じられなくなるだろう。 なぜなら、TVをつけると、 「ささいな喧嘩が元で 身内同士で殺し合った」 というニュースが連日のように報道されるからだ。 「自由に人を殺してもよい」世界では、 誰々が誰それを殺した というニュースが、その殺害方法を含めて電光石火のごとく広まるだろう。 そのようなニュースを毎日のように目にしていれば、あなたが 疑心暗鬼に陥る ようになるだろう。 例えば、朝、夫婦でちょっとした喧嘩をしただけでも、この世界においては、極めて重大な出来事になりうる。 あなたは、家を出る直前に見た パートナーの 恨みがましい目 が頭からこびりついて離れない思いをするだろう。 「あいつ、凄まじい形相で オレを睨んでいたな ひょっとして、 オレを・・・!?」 そして、その夜、 普段と違う豪華な食事 が出てきただけで、あなたはその食事を食べるべきか否か、苦悶せざるを得なくなるだろう。 こういう状態が連日のように続けば、 あなたのメンタルが 崩壊するのは 時間の問題 だ! また、引きこもり歴10年のタカシに、いつもは不満で死にそうな顔をしていた母親が、ある日、 満面の笑みを浮かべて 普段と違う食事 をもってきたとき、果たしてその食事を食べられるだろうか? かーちゃん 「タカシ! 今日のご飯は タカシの大好きな すき焼きよ! 特別に奮発したから お腹いっぱい食べなさい! クフフフフフw」 タカシ 「今日のかーちゃん なんかやべえっ! マジこえーよ!」 このように、「自由に人を殺してもよい世界」では、たった1回の食事をとるだけでも、 めちゃくちゃ面倒くさくて しんどい世の中になる のだ! 8.サイコパスにとって「最悪」の世の中が到来する さて、上の思考実験では、一般的な人間を例に書いたが、中には 「オレ、一度でいいいから 人を殺してみたかったんだ!」 というサイコパス気味の思考の持ち主もいるかもしれない。 そういう人間からすれば、「自由に人を殺してもよい世界」は、 サイコパスにとって まさしく理想的な世界 になるように思われるかもしれない。 サイコパス 「とうとう オレ達の時代 が来たぜ! ヒャッハーーーっ!!」 だが、残念ながら、 サイコパスの思惑とは 全く正反対の展開になる だろう。 結論からいえば、「自由に人を殺してもよい」世界は、 サイコパスにとって 最悪の世界 になる。 なぜか? よく考えてみるといい。 仮に「自由に人を殺してもよい」世界になったとしよう。 このとき、 大多数の善良な人間が 最初に考えること は何だろうか? 善良な人間A 「ヤバい! このままだと サイコパスの餌食にされて こっちがやられるぞ!」 善良な人間B 「それならいっそのこと こっちから先手を打って サイコパスを狩り出して 皆殺しにしてしまおう ぜ!」 善良な人間C 「よし! オレたちで 殺人鬼どもをやるぞ! サイコパス狩り だ!」 その結果、彼ら善良な人間達は一致団結して「魔女狩り」ならぬ サイコパス狩りを始める のだ! そして、サイコパスの疑いのある者は、ほんのちょっとした反社会的な言動から、即座にサイコパス認定され、弁解の余地もなく処分されるだろう。 もちろん、冒頭であげたプレイヤーキル好きの小学生も、 速攻でサイコパス認定される だろう。 なぜなら、 「なんで人を殺してはいけないの?」 という疑問を軽々しく口にするような人間は、例外なく反社会的であり、ほぼ確実にサイコパスとみなされるからだ。 9.「拷問」が日常的に行われるようになる それだけではない! サイコパス狩りの犠牲者は、かつて中世ヨーロッパで流行した「魔女狩り」のように 過酷な拷問を受ける ことになるだろう。 なぜなら、本当は、サイコパスでも何でもない、まったく無実の人間を間違って殺してしまったら、善良な人間にとって、これほど寝覚めの悪いことはない。 それゆえ、善良な人間は、自分が殺した相手が確かにサイコパスであることを自分の良心に納得させるために、サイコパスの疑いのある者に対し、 過酷な拷問を行うことで サイコパスであること を自白させる のだ。 魔女狩りでは、漏斗を口に突っ込んで大量の水を限界まで飲ませ、腹を殴って吐かせることをひたすら繰り返す水責めや、生きたまま全身の皮を剥ぎとる皮剥ぎ、のこぎりで容疑者を生きたまま引き裂いたり、大釜の中に容疑者を入れ、油や熱湯で生きたまま茹でたり、熱い釘を身体に突き刺したり、指を締め上げたり、ありとあらゆる過酷な拷問が行われたという。 善良な人間D 「ほら見ろ! 自分がサイコパスだって 自白したじゃないか! 奴は人間の皮をかぶった 悪魔だったんだよ! 殺人鬼をやっつけた オレたちは 正義 なのさ!」 このように拷問で自白させた後で容疑者を処分すれば、善良な人間は、 まったく良心が とがめることなく 安心して大量殺人を 行う ことができる からだ! 10.「密告」が奨励されるようになる このような拷問を避けるべく、すぐに自白して楽に殺してもらうと思う人もいるかもしれない。 だが、その考えは甘い。 なぜなら、善良な人間はおそらく次のように考えるからだ。 善良な人間E 「コイツ、 すぐに自白したが怪しいな? ひょっとして、コイツの他にも 仲間がたくさんいて そいつらをかばうために 自白したん じゃねえだろうな? だとしたら、 なんてずる賢い奴らなんだ! オレはサイコパスに 絶対に騙されねえぞ! よし、コイツらがその気なら 仲間の居場所を全部吐き出すまで とことん拷問しまくる ぜ!」 その結果、たとえ自白したとしても、ありもしない仲間の居場所を全部吐き出すまで、あなたは 死ぬまで拷問を受ける ハメになるのだ! もちろん、なんとか拷問の苦痛から逃れようと、あなたは2,3の友人の名前をあげるかもしれない。 あなたに名前をあげられた不幸な友人達は、たとえ実際に無実であったとしても、サイコパスの容疑者として捕らえられ、同じように善良な人間達から拷問を受けるのだ。 そして、サイコパス狩りがさらにエスカレートすると、Twitterやブログ等で過激な発言をしたり、ホラー映画好きを公言したりするだけで、サイコパス認定され、拷問を受ける哀れな人間も現れる。 その結果、サイコパスの密告も大いに奨励されるだろう。 単独で行動するサイコパスと違って、善良な人間は互いに協力しあって集団で狩りを行うため、余計にタチが悪いのだ! また、日本の場合、 他人とちょっと違う 行動 をしただけで サイコパス認定される 可能性もある。 善良な人間G 「あいつ、いつも一人で メシ食ってるけど、 何かやましいところ があるから 集団で行動せずに いつも一人ぼっち じゃないのか? 」 と、一人で行動するタイプの人間も即座にサイコパス認定されるだろう。 このように「自由に人を殺してもよい」世界になったとき、 やられる前にやってしまえ! という恐怖の感情が、善良な人々を過激な行動に駆り立てるのだ。 善良な人間を 大量殺人を行う モンスターに変貌させる それが「自由に人を殺してもよい」世界のもっとも恐るべき魔力なのだ! 「万人闘争」が生み出す全世界のバトル・ロワイアル 上の思考実験で見たように、「自由に人を殺してもよい」世界が実現すると、 誰も信じられず いつ密告されて 拷問されるか という 恐怖に満ちあふれた 世の中になる ことを、ご理解いただけただろうか? このような世界を この世の生き地獄 といわずしてなんといおうか? ホッブズは、国家も法律もない自然状態において、誰もが自己の命や財産を守るべく、暴力を用いて他人を積極的に攻撃する混乱状態を 万人の万人に対する闘争 あるいは、 万人は万人に対して狼 と呼んだ。 すなわち、ホッブズは無法世界においては、 すべての人間が あなたの 敵になる! これはいうなれば、 全世界が バトル・ロワイアル になる と看破したのだ! 映画「バトル・ロワイアル」において、敵はクラスメートだけであり、クラスメートだけを相手に戦っていればよかった。 だが、「自由に人を殺してもよい」世界においては、 敵は全世界!! だ。 よく考えてみてほしい! 清掃員のおばさんも NHKの集金人も バスの運転手も いつもは親切な 顔見知りの老人も スーパーのオバチャンも そして、 幼稚園児でさえも 全ての人間が あなたの 潜在的な 敵 なのだ! それゆえ、あなたは彼らを見つけたら、 ひたすら逃げる か、あるいは、 片っ端から殺していく しかない! 全世界がバトル・ロワイヤル状態においては、和解や信頼などありえず、上の2つしか選択の余地はないのだ! 「サザエさん」 でいうならば、 普段対立している 波平や サザエさんは もちろんのこと いささか先生や 配達に来た三平さん クラスメートの 中島君や 花沢さん そして ノリスケおじさんや アナゴさん相手に 壮絶な死闘 を繰り広げなければ 生きていけない このような状況を 地獄といわずして 何と呼ぶのだ!? いや、地獄だ(反語) そして、あなた(カツオ)は、死闘の末、アナゴさんを手にかけた直後、あたり一面になった血の海と、おびただしい返り血を浴びて真っ赤に染まった両てのひらをながめながら、苦悶の叫び声をあげるのだ。 いわば、漫画「アイアムアヒーロー」のような世界が、まさしく現実になるのだ! 全世界バトル・ロワイアルから救われる唯一の方法 このような地獄の中にいれば、どんなに強靱なメンタルの持ち主でも、遅かれ早かれ精神を病んで発狂するだろう。 サイコパスが 拷問を受けて死に 善良な人間が 発狂して終わる世界 これこそが、「自由に人を殺してもよい」世界の結末だ。 まさしく 全世界の誰一人として 幸せになることはない 絶望の世界だ! だが、このような 全世界が敵の バトル・ロワイアル による生き地獄から 解放される方法 はないのだろうか? ホッブズは考えた。 もちろんある! と。 その方法とは、この世界に 「 人を殺してはいけない」 というルールを 加えること に他ならない。 イッツ・シンプル! 単純すぎるといってもいいほど、シンプルな解決策だ。 だが、 その威力は絶大 だ! なぜなら、この「人を殺してはいけない」という、 たった一つのルール を守るだけで、それまでの全世界を相手にした絶望的な バトル・ロワイアル 状態 が消え失せ 恐怖でモンスター化 していた 人間も 元の善良な姿をとり戻し 全世界70億の人間が 恐怖の地獄から解放される からだ! よく考えてみてほしい! 100のルールではない。 たった1つのルール なのだ! このたった1つのルールを守るだけで、 すべての人間が 恐怖の地獄から解放され 誰もが安全な世の中で のんびりゆったりとした 快適な人生を生きる ことができる のだ! もうカツオも、アナゴさんと壮絶な死闘を繰り広げて絶望する必要もなくなるのはいうまでもない。 だからこそ、「人を殺してはいけない」というルールを守る価値があるといえる。 そして、これこそがまさしく 「人を殺してはいけない」 というルールが この世界で 採用された理由 なのだ! もちろん、 「みなさーん! これからは 人を殺さないように しましょうねー!」 とみんなで取り決めたとしても、抜け駆けして人殺しをするサイコパスがいるだろう。 そこで、そのようなルールを守らない者が現れないようにするために、我々人類は、全権を国家に委ねて法律を制定し、警察を組織することにより、ルールを破る逸脱者を容赦なく処罰する機構をつくりあげることにした。 上部の山の向こう側に、剣と杖をもった巨大な支配者の姿が描かれている。 この巨人こそ「万人の万人に対する闘争」という無秩序の混乱状態から生まれた国家の象徴だ。 まさしく、漫画「アイアムアヒーロー」に通じる世界観といってもいいだろう。 「法律で定められているから」という理由との違い ところで、冒頭において、「人を殺してはいけない」理由の一つとして、 「法律で定められているから」 という理由を紹介した。 だが、ホッブズの回答は なぜ「人を殺してはいけない」 という法律を定める に至ったのか? という法律制定の根本的な理由を提示している点で、全く次元が異なる点に注意したい。 ホッブズの考え方によれば、我々人類は、万人闘争状態を回避するために「人を殺してはいけない」というルールを定めるに至った。 「万人闘争状態を回避する」 ということを解決することが そもそもの目的 なのだから、凶悪犯の死刑などの場合に「人を殺してはいけない」という法律を適用しなかったとしても、まったく矛盾ではないのだ。 それゆえ、逆説的だが、「万人闘争状態を回避する」ためなら、 万人闘争状態を生み出す ヒトラーのような 狂気の独裁者の暗殺を 認めてしまってもいい という柔軟な対応が可能になるともいえるだろう。 このように、ホッブズの考えが画期的だったのは、人間社会のもっと根本的な問題、すなわち、万人闘争状態を生み出す人間の本質を見極めた上で、正しい処置(法律の制定など)を行うことこそが、根本的な解決策につながると考えた点にある。 そして、 人間の本質を知るために もっとも有用なツールが 哲学 に他ならないのだ! というわけで、諸君も「なぜ人を殺してはいけないの?」という質問を子供から受けたとき、上でとりあげたように、現代の身近な話題に置き換えて思考実験を物語風に語り聞かせた上で、最後にホッブズ流の明快な回答を提示することにより、子供も心の底から納得する回答を提示できるだろう。 そして、ホッブズのいう「万人の万人に対する闘争」をより深く理解するために、万人闘争状態を緻密な描写で描ききった名作漫画「アイアムアヒーロー」を読んで、充実したオタクライフを存分に満喫してほしい! オタクパパより愛を込めて!.

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シンデレラは人を殺めた事がある。

人でも殺めてきたんか

はじめに 略称"いとてき"、電〇文庫から好評発売中です。 よろしくお願いします。 wotのギアさん主催による23日目の記事になりますが、アドのような内容にはなっておりません。 そういうのは他の方が上手くまとめてくれていると思うのでそちらをご覧ください。 今回のテーマは、プレイヤーである私 Kapelana ににおける心情について再度問いかける禅問答になります。 これを読んでくださる人の何人が共有していただけるか分かりませんが最後まで読んでいただければ幸いです。 愛しい敵車 ある日のE-50に乗ってランダムで稼ぎ試合終盤に差し掛かったあたり、残っている敵はスーシング 以下スパパ だった。 締りのない空虚な思考によるプレイでとりあえずとダメージをとることしか考えていない私は、いつものようにマウスを滑らしスパパのをエイムする。 するとその視線に気づいたのか、彼は主砲を上に向けふりふりし始めた。 なんとかわいらしい光景だろうか。 にその手法は意味無いのに、必死に一発でも多く弾こうと頑張っている。 はめんどうだから今度は砲塔脇のほっぺにエイムを置くかと考えていたが、フリフリするせいで左右に動いているそれは当たり所が悪ければ弾かれる可能性が出てくる。 そう思ったら自然と狙いは車体下部へと移っていた。 そう、何もや砲塔をわざわざ狙わなくとも最初から車体下部は抜ける。 ここは平地だから角度がきついわけでもない。 つまるところ彼は私のE-50と出会った瞬間から抜かれるのは確定していた。 下部にエイムを合わせても砲塔と主砲の動きは変わらない。 相変わらず必死にを守っていて主砲真下の弱点を晒しぬかれる場所を増やしている。 どうやら狙いを変更したことに気づいていないようだった。 これから俺が貫通させて撃破するのは、スパパであり、ふりふりしてを守ろうとしている一生懸命な初心者の意思そのものでもある。 ゲームをプレイする行為では上級者から初心者まで何かを目指して意思を持ち行動している、その愛しい敵車のプレイヤーの意思を俺が今から殺すのだ。 だがはたして俺は彼ほど懸命に真剣に意思を持ってプレイをしているのだろうか。 自分に覚悟があるならいい、勝ちたい撃破したいより高いダメージを出したいと目標があるのなら餌食としてしまうのは上達するルールの上なので正当化される。 しかし、真摯な彼の命と意思を、何も考えていない俺が奪う行為は果たして許されることなのであろうか。 こんなにも愛しいスパパを、彼だってもっと弾いて撃ちたかったろうに。 俺の堕落したなんかより・・・一瞬、クリックするのを躊躇った。 独白 私は歴として動物園や 以下BB 、等プレイしてきました。 これらのゲームは当然ではありますが敵を倒すことが勝利目標になり、そのためにより強い武器や機体から戦車、マップ戦術や連携を研磨します。 「ゲームをプレイする」といっても意味は多岐に渡り、勝利するのが、敵を倒すのが、オンラインで顔の見えない相手と文字(声)だけでコミュニケーションをとれ連携したりコミュニティを形成するのが、機体や戦車が動いているのが、楽しいなどがあります。 勿論一つだけの目的のために最初からプレイする人は少数派であり、というのもどれも幾許かの期間をプレイした後にやっと理解する、気づくのができる感情です。 私の周りにはたびたび最初からそのゲームで勝利することのみを考える人がいたのは確かですが・・・ 私は最初は機体や戦車が動いているだけで楽しいと思う派、つまり派でしたので勝ち負けなどどうでもよく、戦車が動く!キャタピラが回って主砲が撃てる!おまけに敵が中に人がいて撃ち合いの競争もさせてくれるのか?なんていいゲームなんだ!がWotとの出会った時の心境でした。 段々試合数を重ねる内にそのゲームで上手くなりたい(この時は沢山勝ちたい)と思うようになります。 その過程で上手い人とコミュニケーションを取ってもらったり教えてもらう中でコミュニティを形成し、試合の中での連携を通して楽しいや嬉しい悲しいなどの感情を共有する。 オンラインゲームという名の底のない沼の中で貴重な人生の時間を溶かすのは、ある意味で共犯者的だなと今更ながら思う。 っぽい。 戦車を初めて1年半あたりで敵を撃破するのが堪らなく楽しくなってきた。 連携して敵を突破し「勝利」するのが楽しかったのが、連携し「敵を撃つ」のが楽しく気持ちが良いんだと気づいた。 確かにでもBBでも撃破するのが結果として勝利といったひとつの結果で現れるだけで、最初から私は敵を撃つのが気持ちよいと感じるプレイヤーだったのだ。 自身の方向性を理解できたならフォーカスを当てる。 やりたい事とやるべき事が重なったならばそれを実行するだけ。 雑魚を延々と刈り取るために戦場で最大効率を求めるのも中々楽しかったのだが特に新しい発見は無く、敵を撃破するのよりマップや編成ごとにルーティンを研ぎ澄ますのが主な作業であった。 そう、快感が作業にまで墜ちてきていた。 最早現状ではここまで研磨された自信を打ち砕くような衝撃に出会うことはここではないと考えた結果、WGL 以下トーナメント)に繋がる。 とりあえずWN8を高めWGLチームを立て参加し優等をとり上手いプレイヤーになる最低条件を満たしていく為に必要とされる行為は、私が考えるに敵を倒し続けるといった行動から生まれた幾つもの結果でしかなかった。 反芻 自己研磨において満足するレベルや目標に達したとき、リアルや趣味、人間関係や他の事にも当てはまるが、今まで丁寧に丁寧に積み上げてきた積み木をぶち壊す破滅願望を実行する、これほどにまで痛快な事はない。 ただしリアルにおいては自我に対し抑圧が働くので妄想レベルに留まる。 これはオンラインゲームではどのように作用するのか。 例えば、私が何かの三優等チャレンジ、いやダメージのスコアアタックの方が適切だろうか、をしている時、ゼッコロケツブロなどによってショボ沈してしまうとする。 この瞬間目標を3000dmgとしていたとき0ダメで死んだなら取り返すのには3000以上の試合を数回または6000を取らなければ巻き返すことは出来ない。 やってしまったと思う一方で開放されたと思う自分もいるのは確かだ。 今までマップと編成と味方の動きをにらめっこして大事に育ててきた目標と自身の意思を打ち砕く。 スコアを出してで自慢して自己満足に浸るのも、積み上げてきた意思を砕くのもどちらも同じくらい気持ちのよいのだと、その時知る。 この気持ちを著『』では次のように表現している。 昔、四十七士の助命 を排して処刑を断行した理由の一つは、彼等が生きながらえて生き恥をさらし折角の名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であったそうな。 現代の法律にこんな人情は存在しない。 けれども人の心情には多分にこの傾向が残っており、美しいものを美しいままで終らせたいということは一般的な心情の一つのようだ。 十数年前だかに童貞処女のまま愛の一生を終らせようと大磯のどこかで心中した学生と娘があったが世人の同情は大きかったし、私自身も、数年前に私と極めて親しかった姪の一人が二十一の年に自殺したとき、美しいうちに死んでくれて良かったような気がした。 一見清楚な娘であったが、壊れそうな危なさがあり真逆様に地獄へ 堕ちる不安を感じさせるところがあって、その一生を正視するに堪えないような気がしていたからであった。 ・日本文化私観 他22篇 の位置No. 3546-3559. 私は血を見ることが非常に嫌いで、いつか私の眼前で自動車が衝突したとき、私はクルリと振向いて逃げだしていた。 けれども私は偉大な破壊が好きであった。 私は爆弾やに戦きながら、狂暴な破壊に劇しく亢奮していたが、それにも拘らず、このときほど人間を愛しなつかしんでいた時はないような思いがする。 ・日本文化私観 他22篇 の位置No. 3662-3668. 引用元によればこの自滅願望のようなものは一般的な心情であり、難しい目標は一種の綱渡り的な性質を持っているのが理解できる。 渡り終えたとしても途中で落ちてもどちらもよく、有終の美と緩慢な死どちらがどちらなのか誤謬させられてしまう。 正直これについての判別はランダム戦において考えていても分別が付かないので一旦環境を変える事にする。 有終の美と緩慢な死、どちらが正解かはライフスタイルにおいて存在していないあるいはしている。 そう想ったのはWGL APACリーグや個別大会等 に参加して暫く経ってからだった。 今更ながら人の昔話ほど退屈なものはないのだが、私が所属していたBGにおいてそれを感じ実際に目にすることが多かった。 初期の段階においては敵チームを倒し勝利するのが一番であり嬉しく、そこには淀みの無いメンバーの意思統一が存在し昵懇な間柄の、ましてや不純物的意図が入る隙間などは無かった。 私はそれこそが求めていた物でここでそれを感じることこそが居場所と信じ当時は疑いもしなかったが、人間だからこそ堕ちるのであり、生きているだけで堕ちる者でもある。 そう、半年あたりから快楽が堕落を始める。 初期の崇高なる設計をメンバーの入れ替えで大きく外れ始めると(今想えば抜けた彼らはそれをより早く察していたのかもしれない)人間関係にひびが入る。 ひびと言っても何も喧嘩や険悪な雰囲気になったりお互いを避けたりするといった決裂ではなく、なんとなく一緒に目標に向かう気持ちの方向性がずれていたり阿吽の呼吸が出来ず連携に間違いが発生したり、究極的には日常的な会話が致命的に合わなかったりする、居心地が悪くなる。 しかし、WGLはサラリー制度が発足し割のいいアルバイト程度の収入が発生して尚且つ大会の賞金もあるので抜けるかどうかをそもそも天秤に掛けること自体ありえない。 ここで発生するのが終わり方の選択である。 有終の美と緩慢な死、皆が望むのは前者のような大会で優勝や、または難しい戦車で自分の定めた目標を達成したりCWEで満足いく結果を出しそれを機にスパッとやめる。 が、これを実行できる人間は極少数であり、大半の人間は有終の美を求めながら緩慢な死を迎えてしまう。 そこにあるのは肥大化したプライドか。 ゆえに私はBGの最後、名前を変えて最底辺で構わないから賞金(といっても新入社員の一か月分の手取りほど)を取りにいかないかと誘われた時、哀惜と憐憫の念を覚えながら辞退した。 尊大な自尊心が私にはまだ残っていた、あるいは臆病な羞恥心か。 何よりも一度は確かにあったチームの志がここまで墜ちて、加えて死を認めるのではなく名前を変えてごまかそうとする、神聖でないものを自分たちの中では神聖たらしめようとした行為を許すことができなかった。 コミュニティ 少数戦やCWの楽しさの正体とは一体何なのであろうか。 それは今までランダム戦で培ったポジションや動きの根本的常識であるテンプレートを覆す、そこにコミュニケーションを加えて起こる、何万戦としてきたであろう自身の破壊にある。 破壊と言っても破滅的意味ではなく知識を生かしたゲームシステムの昇華であり、言わばWoTアップデートである。 ここからは各々の感性によるが、CW 15vs15 と少数戦 7vs7 では好き嫌いが大きく分かれる。 前者は良くも悪くも一人あたりに求められるスキルが少ない、一方で後者においてはプレイヤースキルは勿論だが一発が勝敗を左右し試合開始から何秒でリポジションするかなど繊細さが勝負を分ける。 少人戦は自分のクリックで勝敗が変化すると考えたら堪らなく興奮する。 相手も自身と同じ、ランダム戦の奴らとは異なった、勝つといった覚悟を持った人間だ。 その高尚なる意思を殺すのもチームメンバーの意思を生かすのも私の指に託されている。 これ程、正正堂堂が合う瞬間を私は他に知らない。 CWでは15vs15で残念ながらこの感情が薄れてしまう。 それを行えるのは、タクティクス同士の戦いをする指揮官だけで、兵士はやる気があるのからないのまで玉石混交な環境になる。 これに関してはほぼ毎回と言って間違いない。 仮に2人のプレイヤースキルが拮抗していると仮定して、キレるのを正当化する訳ではないがそれほどまでに熱く真剣に取り組んでいる男と、それを避けたり馬鹿にしたりする男、明確にCWに対する熱量に差異がある。 これらが同居してしまう事ほど不幸なことはない。 ゆえに私はあまり好きではないのだが今現在はこれしかない。 なので自身の熱量を調節し口と思考を慎み、我慢する。 楽しいのだろうか。 不幸になるのは私だけなので社会性を持ちコミュニティルールに則るのは正解であるが、内なる意思の堕落はとどまるところを知らない。 敵って誰だよ 自己紹介は十分書いたので敵について分類していく。 この辺の敵• 敵プレイヤー• マップとオブジェクト• ケツブロ• わけわからんLT 1. 彼らを放置しておくと味方の黄色以下がしゃぶられ戦線が崩壊しダメージを稼ぐゲームメイクをすることができない。 対抗策として A. 彼らが溶かすのと同じかより速く敵の弱いプレイヤーを溶かす B. 彼らと対峙する の二択がある。 がいなければAをとる価値はあるが、もし2枚以上いるならば即座に飛んでくるのでアクティブに動けず困る展開が多い(ex. マリノフカ北) Bに関しては非常にリスクが高いが、もし同じtierで彼らを倒せたなら残りをしゃぶり放題のボーナスタイムが発生する場合が多い。 私の周りの大体のプレイヤーはソロの場合でAを、ならBを選択する。 のが3,4年前のセオリーだった。 現在はプレイヤーが勝率よりもダメージと優等を重視する傾向にあり、Aをで選択した場合における結果としての勝利が多く見られる。 アノニマイザーも実装された以上こちらの方が適応しているように思える。 私はソロ専なのでの動きは詳しくありませんが・・・ ex. 想像通りの試合とはちゃめちゃな試合 試合の中で対峙する相手と最近のランダム戦における戦闘リズム• 序盤は存在するならばトコトコ族を撃ち通行料を得たりHTがポジションに着く前にすでにエイムを置いておき一発いれる• 中盤にはある程度腕のあるプレイヤー(程々に削れている)との対峙• 終盤に残っているのは死にぞこなった黄色以下のプレイヤー これが想定通りの試合の流れであり、この状況で稼いだスコアは予想される範囲の嬉しさと満足さが得られる。 サプライズは特にない。 的には面白いが対人的には面白さを失ってしまっている。 AIと戦っているみたい。 はちゃめちゃな戦闘こそ対人ゲームにおける醍醐味であると考えられる。 (省略) 2. マップとオブジェクト まともに撃ち合いをさせてもらえなかったりする苦手マップはBANマップとして対策をするのが今でこそ可能となったが、それでも嫌なマップは数多く存在する。 例えば湖の村だったりストジャンキもやだしマリノフカの北や崖の北も苦手ではもちろん漁師の港も敵だ。 それに加えて微妙にオブジェクト判定がバグっている岩や地面、滑る岩、謎の柵 ex. ムロヴァンカ中央、崖飛行場の遺跡や飛行機 、などがあり楽しさやモチベーションを削ってくる天敵である。 マップの飽きもモチベーションの敵で最早要望になってしまうが、HDマップは存在してもいいのだれけどもそれ以前のマップも残し共存の道を取ってほしい。 というのも例えば旧エーレンと現エーレンどちらも存在したり、コマリンや湿地もそのまま残したり、聖なる谷も修正前と後で2パターンあれば糞マップ共ではあるが、動きや配置のテンプレート化がされにくくなり飽きるのに今以上に時間がかかる。 WGには何も期待していませんが・・・ 3. 茂み これは自身の知識との戦いである。 二重か、どこまでばれないか、このタイミングならいつも使えない茂みが有効になるのではないか、隠蔽率的に200mまでなら15mルールを使えば視界460ぐらいの奴にはばれないかなど状況判断力と思考の回転率との戦い。 私自身もまだまだなので多くを語ることはできないが詳細な事前知識を要求される。 ケツブロ がに「後ろにも目をつけるんだ」とアドするセリフがある。 劇中においては正面の敵と戦いながら戦況全体を見渡し見えていない後ろの状況を予測し把握することで、一歩先の行動をとるのを意味している。 wotにおいては稜線内側などで稼ぎすぎると俺も俺もとずいずい味方が来る際にこの言葉を思い出す。 後ろから感じるのだ、ケツブロの視線を。 脳内での例の音が響く。 はっと後ろを見ると味方のVK100pが真っ直ぐケツに向かってくる、あいつは間違いなくケツブロだと決め付け、稼ぐだけ稼いだらリポジションを私は考える。 私のブログの読者の中にはこの感覚を知っている人も少なくは無いだろう。 稼ぎすぎはよくないな、と思わなければならないこのゲームは一体なんなのだろうか。 味方が敵なのか、他人の分まで食べてしまおうとする強欲な自分がいけないのか。 最早言葉は不要か。 者的思想であるが昔の仕様でも今仕様のでもいいからさっさと一枚制限にして欲しい。 一枚なら時間管理ができるので撃たれてもなんとも思わないが、これが三枚になると誰がいつ撃ったのかもはや把握するのが不可能になる。 一部 ユーザーも一枚制限の方がいいと要望しているのに何を頑なにクレームの元を修正しないのか甚だ疑問。 HTは正面の敵と側面の敵の射線を考えてポジションにならないよう動いているのに、そこに第三の射線を複数作るのは本当に勘弁して欲しい。 お偉いさんにゲームをプレゼンして実際にプレイしてもらう場合にHTだとボコボコにされ何が面白いのか分からないのでに乗せざるをえず、その時に一枚制限だとマッチ時間が長くて不満を持たれてしまったり、「重戦車や中戦車はすぐやられてしまうが、このって車種は一方的に撃てていいね!」のような評価をもらってしまい、が故に枚数制限もnerfも出来ずに現在の状況に至ったのではないかといった妄想をしている。 (WG) もしくはWG自身は本当にの現枚数が正しいと思っている。 (WG) 6. わけわからんLT ガンレイ積んで後ろで芋ってる152mm積んだT49とダン、お前らだよ。 相手はEBRなんだが・・・(六感の音が鳴り響く) 撃つべき敵 戦いと勇気は、隣人愛よりももっと多くの大きな事をなしとげた。 あなたがたの同情ではなくて、あなたがたの勇敢さこそこれまで不幸な目にあった人たちを救った。 「善い、とは何か?」とあなたがたはたずねる。 勇敢であることが善いことである。 小娘たちに言わせておくがいい、「善いこととは、優しい感動にみちたこと」と。 人々はあなたがたを無情だと言う。 しかしあなたがたの愛情こそほんものである。 そしてわたしはあなたがたの愛情をあらわす際の羞恥感が好きだ。 あなたがたはあなたがたの満ち潮を恥じ、他の人々はかれらの引き潮を恥じる。 あなたがたは醜いだろうか? よし、わが兄弟たちよ!それなら醜い者のつけるべき外套、すなわち崇高さを身にまとうがいい! しかしあなたがたの魂が偉大になると、あなたがたの魂は傲りはじめる。 あなたがたの崇高さのなかに、悪意が宿る。 わたしはあなたがたをよく知っている。 悪意という点で、傲り高ぶる者と弱者が仲良しになることがある。 かれらはおたがいを誤解しているのだ。 わたしはあなたがたをよく知っている。 あなたがたは、憎むべき敵をのみ、持つべきである。 軽蔑すべき敵を持ってはならない。 あなたがたはあなたがたの敵を誇りとしなければならない。 そのときはあなたがたの敵の成功が、あなたがたの成功ともなる。 ; 氷上 英廣. 上 の位置No. 1009-1023. 『』"戦争と戦士"からの引用です。 いい本なので一度是非読んでみてください。 基本的にが説教する内容ですが、全方位について述べているので、読んで刺さる章がその時の自身の状況によって変化します。 おすすめです。 における敵、ルール上の敵ではなく、打倒すべき対峙する敵または好敵手とは一体誰のことを指すのであろうか。 wotであれば「味方すら敵なので15vs15ではなく1vs29である」と高らかに述べる人を度々目にする。 しかし私はそうは想わない。 最終的な敵とは結局のところ自分自身であり「1vs1」である。 ランダム戦での目標(例えば自分が定めた要求ダメージ)に達すまでイモだろうが扇動だろうが使える手をすべて使ってどこまで非情になれるか。 そこに味方の妨害が加わろうともそれすらも予測しカバーする想像力を持つ。 ケツブロされて自走に撃たれてしょぼちんしてしまうなどで味方を恨んだところで仕方がない、仕返しにケツブロし返したところで失ったHPは戻ってこないし粘着される要因にもなる。 黙って引くことが要求されている物に対し最も誠実な回答である。 ここで憎むべき敵とは味方やライバルではなく、目標を定めた自分自身なのだ。 他のプレイヤーはこちらの意図なぞ知る由もなく目標も違えば考えている内容の根本(戦車が動けばいい、でストックから開発するなど)が異なるので、間違っても味方のせいにしてはいけないし、敵のゼッコロに文句を言うべきではない。 軽蔑すべき憎むべき敵を外に作ってはならない。 恐れるべき敵は定めた目標に対する驕った自身の意思である。 最初に述べたスパパを撃つときに生まれた迷いは、私の驕りを示している。 そのおかげで、愛しい敵を捕らえることができた。 ではいかにして殺そうか。 殺めかた tier10の5Aに乗り357or447を引いたとき、まずはどのように、どこでなら、格下と撃ち合えるかを考える。 撃ちたいのはIS-3、3発正面から抜いて上振れば撃破できる。 だが、そこに同格が来ては興ざめなので最前線を選ばなければならない。 初手は前線の一歩後ろの茂みで様子を見るか、そもそも同格の戦車が弱いなら全員倒すの心意気でいくのもあり。 それの意思を殺すやり方は複数あり、近距離で車体を乗り上げ最大俯角で行うハルダウンによる射撃、中距離の有利な地点から相手の多少硬い部分を抜く射撃、そして遠距離からのクロス。 とポジションの関係から推測する。 ステップ北でがいないなら最前線でもいいし後ろの二連木でもいい。 ルイン南ならG1で有利ポジションでハルダウンや街のEF2まで張り付いてもいいし、EF9も熱い。 ダメージならG1一択だし、優等なら真ん中を観測しクロス組めながら撃ち合えるEF2、勝率だけを求め味方を信じるならEF9もなしではない。 目標を定める。 今回やりたいことはIS-3を撃つなので街中に行きたい。 なぜならば俺が奴を殺すから、他の誰にも取られたくはない。 最終的な統計スコアが安定するのは間違いなくG1であるが味方を信じるといった博打要素を自分から孕んでまで、IS-3を殺したい。 塗装も無く主砲は初期砲の彼を誰にとらせてなるものか。 試合が始まったが街中の味方がなんだか心もとない。 仕方がない、今回はG1で甘んじるか。 この瞬間、私の意思が捻じ曲がる。 G1平原どちらでもいいが後手に回り結果的に5000ダメージを稼いでも心地よい気分にはならないだろう。 目標から逸脱し始めている、がショボチンは受け入れられない。 脳内の予測と殺意がせめぎ合う。 試合の終盤に確かにGHJKラインを行き来して稼ぎIS-3を殺したが、嫌な予感通りベコベコに減った彼を最後に倒しただけで当初思い描いていた正面から3発ではなかった。 試合を終えリザルトを開いてみれば、後手後手で爽快ではなかったがダメージは5000に達し平均ダメと優等が上がる結果となり満足はした。 しかしどうだろうか、この5000は辛いポジション G1K2 にて堪え難きを耐えたもので、マップアドバンテージも無ければ、相手の布陣を受け流しの中で嵐が過ぎるのを待っていたような辛さがある。 求めていた彼の意思を手にかけることができなかった消化不良の喪失感が心に沈む。 端的に言えば、結果を目標にするのか、試合内容を目標にするのか、不倶戴天の敵同士両者を求めてしまった故に選分けられなかった事実へのもやもやが心を占める。 未だにこれらについて私自身どうすれば答えが出るのか分からない。 今はただ、どんな敵に対しても煽りなどではなく、嬉しいといった感情を持って敵を撃ち続けている。 おわりに 技術のみを追求すればセンスの壁に阻まれる。 センスを追求して感覚を磨けば、やがて時間の積み重ねという厚みに潰される。 月に寄りそう乙女の作法2 この一文はプレイする前に常に私の心の中で反復され続けられている。 ランダム戦でいくら稼ごうが磨こうが少数集団戦における敗北時の満足感やロシアンスパユニ(環境が違うのは重々承知だが)との差に、一方で集団戦に籠ってしまえばランダム戦(、戦績、勝率、ダメージ優等etc が疎かになりwotの本質と乖離していく。 両立することが可能ならばいいのだが二足の草鞋は履けない。 終着点として、強い意思のぶつかり合いである集団戦に長く居すぎたせいか敵の心情を読み取る余裕がランダム戦では生まれてしまった、などと偉そうな態度へ堕ちてゆく驕った思考。 対峙した初心者の初々しい意思を殺す、それらから発生する対人ゲームを楽しいと思える感受性の堕落を恐れているだけの唯の臆病な人間でしかない。 そう際限なく気分を沈めながら、スーシングの下部へ向け、優柔不断な人差し指に添えられた左クリックを深く押し込んだ。 発売から数年経っていますが人は鯖くらいいます(多分)。 SteelDivision2は嫌いダメえうげん君は今すぐwargameの新作開発に着手しろ。 民または知り合いには投げつけていますが他にもやりたくなってみた人がいたら連絡ください。 僕はいつまでも待っています。 護送されるLVPT君 かっこいい君 起承転結なし、生の感情、昔話、雑然とした文章で一万字を越えてしまい反省しております。 ここまで読んでくださりありがとうございます。 Kape.

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そらる(After the Rain) 最適な人の殺めかた 歌詞&動画視聴

人でも殺めてきたんか

2017. 16 聖書では 悪魔は10人の人間を殺したのに対し、 神は2,038,344人もの人間を殺めているという情報が蔓延しています。 これは間違った情報ではないのですが、そもそも人を殺すとはどういう事なのか、聖書による神の存在を確認してみましょう。 神がなぜ人を殺すのか 聖書では悪魔は10人の人間を殺したのに対し、神は2,038,344人もの人間を殺めています。 この記録はハッキリと分かる人数を数えたものであり、実際は有名な「ノアの箱舟」の話のように、地球全体に大洪水を引き起こしたりもしていますので、その数は2000万人を超えるとも言われています。 この数字だけを見ると、神が非人道的な行いをしているように思われますが、そうではありません。 例えば神が創造した人間達の中で、悪い人間と良い人間に分かれたとします。 悪人が善人を殺してしまった場合、間接的に神が作り出した結果とも言えますので、神が殺したと置き換えることも出来ます。 このような数がカウントされ、200万人もの人間を神が殺めたという情報が出回っているのです。 ただし先に述べたように、「ノアの箱舟」などに代表される様々な災害や超常現象によって引き起こされたものは、神が直接手を下したと言っても良いでしょう。 悪魔はなぜ10人を殺したのか 神が200万人を殺したとされるのに対し、なぜ悪魔は10人しか殺していないのか。 逆にその点が気になってきます。 悪魔が擬人化された姿や実態のある存在として聖書に登場するシーンはごくわずかです。 「アダムとイブの知恵の実の話」、「ヨブ記」、「荒野での誘惑」、「ユダへの誘惑」などで登場します。 この際、いずれも悪魔は自分自身で人間を殺してはいません。 あくまでも人間の悪意を奮い立たせるように誘惑するだけなのです。 例えば悪魔が人間を誘惑し、その人間が他の人間を殺してしまえば、間接的に悪魔が殺したことになるのかも知れません。

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