石井ゆかりライン。 石井ゆかりの『幸福論』 4. 「帰るべき場所」と幸福(後編)

3年の星占い 山羊座 2018

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デパートコスメ専属メイクアップアーティスト 若い頃、デパートコスメの某ブランドに狂っていた時があります。 一つ一つの繊細な瓶やケース、 HPや紙袋でよく使われている花のイメージデザイン。 ほんとに可愛らしい、清潔でお洒落な世界観。 せっせとアイテムを集めてはうっとりと眺め 朝のメイクタイムを楽しいものにしてくれました。 そこの化粧品の事を考えると 普段のしんどい仕事の現実から逃避行できるくらい。 (当時は独身だったので今より贅沢ができてた... ) その時のとっておきの思い出として、 一度だけブランド専属メイクアップアーティストさんに お化粧をしてもらったことがあります。 カウンターに常時いるアドバイザーさんではなく 世界に数名しかいない特別なメイクアップアーティストさん。 (たしか早いもの順で予約してその権利をゲットした記憶。 ) その方はパリコレのメイクも担当されていらっしゃり、 メイクの腕ひとつで世界中で活躍されている方でした。 それがまた、端麗なお顔立ちの美男(グッドルッキングガイ)! メイク会当日。 ため息ものの彼の佇まいにウットリ見とれていました。 ああ、王子ってこんな感じなんやろな... こんな綺麗な人、生で見れるとは... しかも私にメイクしてくれるんや。 王子と魔法使いがいっぺんに来る感じや。 そして。 自分がメイクを施してもらう番です 王子はたくさんのカラーパレットから私の肌色に合う色を見つけては 丁寧に丁寧に塗ってくれました。 難しいであろう腫れぼったい私のまぶたに一発で 綺麗なアイラインを書いてくれたときは さすがプロや... と舌を巻きました。 メイクの出来栄えはやはり自分でするものより格段に良かったです。 (私の技術が追いつかず、再現は難しかったのですが... orz) 普段使った事のない幻想的なカラーでまとまっており驚き。 でも私の顔立ちに自然になじむように組み合わせており 違和感なく華やかに見えます。 魔法、魔法使われたな... また王子は影のある色っぽい声で囁くように話しをしてくれました。 (っぽい感じ... ?) 立ち振る舞いというか所作というか 普段から美と向かい合っている人を囲むオーラは神々しく 今でもあの時は異次元に飛んでったんかな? ファンファーレ、パンパカパンな思い出です。 星占いのさん新刊エッセイ 星占いで有名なさん。 一年の初めの「年報」、1週間の初めの「週報」は石井さんのサイト、 1日の初めにはで占い情報を流してくれるので せっせと読んでおります。 そんな石井さんの出された新刊エッセイは「美」について。 いつも豊かな優しい言葉で星占いを告げてくれる石井さんの 美に対する様々な考え方が読めます。 そして石井さんの考察がじんわりきたので一部ご紹介します。 物事や出来事の中に美しさを見出すには、 胸の中になんらかの美意識がなければならない。 ロマンティックや美しさをこの世に探し出して 証明しようとする意思がなければならない。 美は、私たちによって探し出されるまでは、どこにもないのだ。 〜 たとえば、あるアクセサリーがあったとして、まずそれを自分で「美しい」と思わなければ、手に取る事も見につけることにもならない。 よって、それを誰が見る事もない。 美を見せたり、見られたりする事以前に、まず私たちの中に、 美を見つける力が存在していて、 それを起動する必要がある、ということなのではないか。 先述のメイクさんの話しで言うと 当日初めて会った私の顔になじみ、映える色を短い時間で選び施す。 オタフクみたいな、凹凸のほとんどない私の顔から 美しくなりそうなポイントを見つけ加飾し華やかさを出していく... メイクをしてもらった当時は魔法だなとフワッと考えておりましたが 紐解くとメイクさんの美を見つける力、手持ちのアイテムで美を引き立てる力、 もともと持ってらした美意識など「美」の総合力であのメイクは完成したんだな。 と メイクでも文章でも何でも自分の中で「美」をまず見つけなければ 世の中にそれをお知らせする事が出来ません。 私が化粧品にハマったのは自分の顔に自信が無いという ネガティブな動機始まりでしたが その中でも自分で少しでも自分の良さを見つける行為をしないと 美しくはなりませんね。 そんな事を考えられるような良い本でした。 読んでくださってありがとうございます! パイルダーオンしていただくととても嬉しいです! ありがとうございまーす! umakosan.

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かに座

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「王様の星」の帰還。 今回は、2020年12月のグレート・コンジャンクション(木星と土星が重なるポイント)がハイライト。 大きな「節目」を迎えるにあたって、3年間ずっと心の支えとなってくれる1冊です。 この両方が絡み合って、私たちの生活は紡がれていきます。 できるだけ明るい希望を持ち、できるだけ強い自分として生き、光る小石を拾い集めて毎日を営むのは、誰にとっても、簡単なことではありません。 その大変な日々をときどき、小さな星の光が照らしてくれるなら、という思いで、この本を書きあげました。 短いながら、思わず感情移入してしまう手紙形式のプロローグをお楽しみください。 ホロスコープの動きを時間軸で表現した図表は、著者が独自に考案した「3年の星占い」だけのオリジナル。 木星は12年先、土星は27年先の未来が見渡せます。 私にとって占いは、『当たる当たらない』だけでなく、占いを何度も読み込むのは、自分自身を棚卸しするためです。 『あなたにはこういう面がありますから、、』ということを多数書いてくれてるので、すべて正解じゃなかったとしても『そう!言葉で現すとまさにそれ!』という発見が多く、 すなわち自分をしっかり分析できるということはこの先の人生をどう歩いていくか選ぶヒントにもなります。 他の方のレビューにもあるように、過去を答え合わせをするのも楽しいです。 とくに私は前回の3年で、結婚離婚引越も時期もピッタリ当たっていたし、他の数ある占いの中でも自分は比較的石井ゆかりさんのものが当たりやすいです。 鵜呑みはしないで、運勢も知っておく程度に見てますが、当たりハズレだけで見るのは運命の主導権を他人に委ねてるみたいで嫌です。 自分の人生を形成する大事なツールのひとつとして使えたら良いなと思います。

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ウィークエンド マックスマーラ、銀座に日本初路面店

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大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。 今回は、「石井ゆかりの幸福論」第4のテーマ「帰るべき場所」と幸福(後編)をお届けします。 4.「帰るべき場所」と幸福。 (後編) 私たちは生まれてから成長し、成熟するに至るまで、「外の世界へ、もっと高い場所へ」と、植物が空に向かって伸びるように、ひたすら「ここではない、どこか」を目指します。 ですが、そのもっとも力溢れる時間を生きた後で、今度は人生の下り坂にさしかかります。 12ハウスの一番最後はもちろん「第12ハウス」なのですが、星占いの世界では不思議なことに、ここが「人生のゴール=死」とは設定されていないのです。 この場所は自己犠牲や隠遁、隠れ場所などを意味します。 第12ハウスの先にはなにがあるかというと、「第1ハウス」、即ち「始まりの場所」が位置しています。 これは、たとえば長い間組織にあって仕事をして勤め上げ、定年を迎えて引退し、そこで肩書きのない「一個人」として新たな人生に再出発する、というイメージを思い浮かべると、なんとなく納得がゆきます。 「一人の人間としてもう一度、生まれかわる」「新しい個性を生きなおす」ような展開が、ここに待っているのです。 誕生し、成長し、成熟し、引退し、枯れて消えるのではないのです。 少なくともホロスコープの仕組みにおいては、そうなっていません。 人生を終えたかに見えた「引退」のあと、最終的な着地点の手前に不思議な「再生」が置かれています。 生まれてからこの世を発見し、他者とコミュニケーションを交わして「自分」になる、「この世界」と「自分」とのつながりをもう一度ゼロから確かめるプロセス。 私たちの老年期にはそのプロセスが待っているのかもしれません。 最後にくるのが第4ハウスです。 居場所、家、自分の人生全体を収める器のようなものが、そこに置かれています。 居場所や家族は一般に、人を温め、守り、育ててくれる場所であり、いざというときに駆け戻れるような安心できる場所です。 「家族のために」生きている、という人は決して少なくありません。 ですがその一方で、「家」「家族」は、人を縛り、振りまわし、抑圧し、時には深く傷つけてくる世界となることもあります。 逃げたくても逃げられない場所、「逃げたい」と思うことすら許されない世界。 「家」によって傷ついた人は、世の中に驚くほどたくさんいます。 生まれおちた「生家」を、私たちは選ぶことができません。 でも、最終的に「帰り着く場所」は、少しは選択の余地があるようにも思われます。 もちろん、人生の変転のなかで「ここにいることを余儀なくされる」「外に出ることができない」状態になる人もたくさんいます。 ただ「生まれた場所」よりはわずかに、「選べる」部分はあるのではないかと思うのです。 「最終的に帰り着く場所」は、自分の人生の終着地であり、人生の理想が注ぎ込まれる場所、といえるかもしれません。 「終の棲家」に憧れ、あれこれと夢を思い描く人は少なくありません。 将来こんな家に住みたい、いつかこんな場所で暮らしたい、という願いを叶えた人は、とてもうらやましがられます。 私は(あちこちで書いていますが)、非常に引越の多い人生を送ってきました。 生まれたその日が引越の日で、それからよんどころない事情で20回以上も引っ越してきました。 夜逃げでもなければ趣味の引越でもなく、不思議なくらい「引っ越さなければならなくなる」人生だったのです。 ですが40歳を越える頃から「最後にはどこにたどりつくのだろう?」という思いが湧いてきました。 「終の棲家」があるとすれば、それはどこなのか。 それは幸福な場所なのだろうか。 この問いは、このところ年々、私の中で重みを増しています。 それは単に「場所・建物」の問題だけに留まらず、「最終的にはなにをして、どう暮らしているのか」という、生活全体のイメージにつながります。 つまりは「人生の最後」ということなのです。 金メダルを目指し、社会的成功を目指し、幸福な人と羨まれ、立派な人と尊敬されることを目指した後で、一人の人間として「最後に、本当に欲しいもの」はなんなのか。 これは、人生の早い段階で準備できるものではないのかもしれません。 でも、そのことを心の中で、常に探し続けることができるとしたら、はまらずに済む落とし穴もあるのかもしれません。 「最後の最後が幸福であれば、人生の全体が幸福の光に照らし出される」「過去がどんなに辛くても、現在がどんなに苦しくても、最後の最後に幸福であれば、この苦しみや辛さが全て報われる」。 この考え方は、私たちが今という時間を、未来に向かって絶え間なく生きようとする上で、決定的な希望です。 『椿姫』のマルグリットも、最後の瞬間まで恋人アルマンを待っていたのです。 生きている限り、次の瞬間には恋人がやってくるかもしれない、というその希望を胸に抱き、人生の幸福を目指して生きていたのです。 自分にとっての最後の瞬間が「最後の瞬間である」ということを、私たちは知ることができるのでしょうか。 それは死んでみるまで、だれにもわからないわけですが、少なくとも「幸福への希望」だけは、最後まで私たちにつきあってくれる可能性があるようです。

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