パリ は 燃え て いるか ヒトラー。 パリは燃えているか : 作品情報

歴史の分岐点を丹念に切り取ったノンフィクション──『パリは燃えているか?』

パリ は 燃え て いるか ヒトラー

背景 [ ] 1944年6月6日にが行われて以降、占領者であるとその傀儡・に対する「フランス国」国内のの動きはさらに活発化した。 しかし全国抵抗評議会は右派から左派までの寄り合い所帯であり、一枚岩の組織ではなかった。 臨時政府の代表であったは、戦後における自らの影響力を確保するためには臨時政府による早期の解放が不可欠であると考えており、全国抵抗評議会に参加している左派勢力主導の解放は望んでいなかった。 ド・ゴールは軍ヨーロッパ戦域最高司令官大将にパリ攻略を急ぐよう何度も要請したが、アイゼンハワーの司令部はドイツ軍の抵抗が強固であると予想されること、占領した際のパリを給養する物資が膨大なものになると予想されること、ヴィシー政府の退陣を待ってフランス国民が臨時政府を受け入れる用意が出来るのが望ましいことなどを理由に、パリを一部部隊で包囲するにとどめる計画であった。 8月19日にはアメリカ軍 () ()がのほとりにあるに到着した。 ドイツ側ではは「パリの失陥はフランスの失陥であり、ドイツの敗勢の象徴とみなされる」とし 、8月7日に歩兵大将をパリ防衛司令官に任命した。 8月11日にはヒトラーは個人的理由からパリに架かる橋をすべて爆破した上で、最後の一兵まで戦うよう命令を出したが、コルティッツ大将は市内での防衛が無意味であり、パリ外周での防衛に留めるべきと考えた。 当時の上官である ()元帥もこれを承認した。 経緯 [ ] パリのレジスタンス蜂起 [ ] フォン・コルティッツ 一方パリではに、、、が、翌16日には郵便局員がに入った。 にはがパリ全域の労働者に広がった。 8月19日午前7時、パリ市内のレジスタンスが蜂起を開始した。 蜂起を主導したのはフランス国内軍であり、総兵力は2万人であったが、装備は劣悪であった。 対するパリ防衛司令官コルティッツ大将率いるドイツ軍も2万人の兵力を持っていたが、兵員の大半はパリ市外に出ており、市内にいるのは5~6千人であった。 レジスタンスは12の区役所、郵便局などの施設を占拠してを掲げ、の本部では警察官が蜂起してこれに応えた が、午後になると装備に優れたドイツ軍の攻勢が開始され、レジスタンスの拠点は徐々に孤立していった。 コルティッツ大将は翌日の日の出30分後に鎮圧しようとしていたが、午後7時に中立国の ()( Raoul Nordling)が死傷者収容のための休戦を提案した。 コルティッツ大将はフランス国内軍らレジスタンスは「暴徒」であって休戦の対象となる「」ではないとしたが、戦闘を停止してフランス国内軍を交戦団体扱いし、一部管轄地域を渡すという「諒解」に合意した。 休戦期間は当初1時間とされたが、夜には無期限へと変更された。 コルティッツ大将はレジスタンスに内部対立があることを知っており、休戦期間を設ければレジスタンスの団結が瓦解すると考えていた。 フランス国内軍も休戦に合意したが、翌8月20日午後には一部の兵士がゲリラ的戦闘を再開した。 コルティッツ大将はノルドリンク総領事を通じて「攻撃を停止しなければ、パリを空襲し、本職に与えられたパリ破壊命令を最大限に実行する用意がある」と警告した。 ヒトラーもパリの被害を考慮せず、市の内外で戦うべきであると西方軍集団司令官元帥に命令した。 フランス国内軍は連合軍の早期到着が必要であると考え、ガロワ少佐とノルドリンクの弟ロルフを中心とする2つの連絡班をアメリカ軍前線に派遣した。 その間に連合軍はパリ周辺の攻略を行い、8月21日にはパリ南方にある ()、、 ()へ向かい、最終的にパリ東方にある ()を占領した。 そのためモーデル元帥はパリ防衛が不可能であると考え、パリの東と北で防衛する計画を具申した。 しかしヒトラーはこれを退け、パリの東ではなくパリで防戦するよう命令した。 連合軍のパリ進軍決定 [ ] ド・ゴールは8月20日にを発ってに到着し、アイゼンハワー大将に臨時政府指揮下にあるをパリに進軍させるよう要請した。 アイゼンハワーは要請を受け入れたものの、時期については明言しなかった。 8月21日にド・ゴールはアイゼンハワーに書簡を送り、連合軍のパリ派兵がなければ臨時政府の権限で第2機甲師団をパリに向かわせると声明した。 さらに第2機甲師団の少将は独断でパリ派兵を決断し、アメリカ軍には秘密で準備を開始した。 翌8月22日、フランス国内軍が派遣したガロワ少佐の連絡隊が、の大将がいる ()司令部に到着し、次の内容を告げた。 パリの大部分とすべての橋はフランス国内軍の支配下にある• パリ防衛ドイツ軍の主力は退却した• ドイツ軍が休戦に応じたのは退却のため• コルティッツ大将は形式的に戦闘したら降伏することになっている• 休戦期限は8月23日正午までになっているが、両軍とも尊重する意思はなく、ドイツ軍は休戦期間終了後にパリを破壊するおそれがある。 しかしこの情報は事実とは異なっており、ド・ゴールの側近の工作による 完全な嘘であった。 ド・ゴールとの交渉でパリ進軍もやむなしと考えはじめたアイゼンハワー大将と第12軍集団のブラッドレー大将はこの情報を信じ、第12軍集団の指揮下にあるアメリカ軍を向かわせる事にした。 第5軍団にはフランス第2機甲師団も所属しており、そのための配置であった。 イギリス軍の大将にも部隊派遣要請があったが、指揮権の問題でアイゼンハワーと確執があったモントゴメリーはこれを拒否した。 パリ進軍開始 [ ] 第5軍団司令官 ()少将はパリ進撃部隊を2つに分けた。 第2機甲師団の一部、第38騎兵中隊主力、第5軍団司令部、第4歩兵師団 ドイツ軍の狙撃兵に備えるフランス軍第2機甲師団の兵士 パリ入城はあくまで第2機甲師団が先に行うことになっていたが、アメリカ軍の貢献も示すために第38騎兵中隊も同行することとなった。 両軍は最終目的地で一旦停止し、ドイツ軍の抵抗が軽微である場合のみにパリ市内に入ることと決められた。 軍の出発は当初8月22日中に行われる予定であったが、第2機甲師団の集結準備に手間取り、8月23日午前6時30分に進軍が開始された。 両軍の進軍はいたってスムーズであり、フランス人による熱狂的な歓迎を受けるのみであった。 北方部隊の目的地への到着予定時刻は24日午前5時10分、南方部隊は23日午後8時55分であった。 一方パリではフランス国内軍と防衛軍による散発的な戦闘が続いていたが、おおむね休戦は維持されていた。 しかし午前11時、コルティッツ大将のもとにヒトラーからパリの防衛、暴動鎮圧を命じた上で「パリは、廃墟以外の姿で敵に渡すべきではない」といういわゆる「パリ廃墟命令」が到着した。 コルティッツはモーデル元帥に命令遂行が不可能であると上申したが、モーデルは総統命令は一部でも実行しなければならないと命令した。 同日正午すぎ、で「パリ解放」の臨時ニュースが流れた。 間もなく誤報であると訂正されたが、これは連合軍の進軍を督促するためのフランス国内軍ロンドン本部による工作であった。 パリ攻略の障害 [ ] ドイツ軍からの攻撃を避け自走砲の脇に隠れるパリ市民 しかしその頃、北方部隊の進軍はフランス人や新聞記者の歓迎で遅れ、ヴェルサイユの到着予定の23日午後8時55分にランブイエ到着がやっとであると連絡が入った。 北方部隊の到着と同じ頃ド・ゴールもランブイエに入り、ルクレール少将と今後の進軍計画について会談した。 ルクレールは独自の偵察から、ヴェルサイユに向かうより ()の東 ()に向かったほうがパリに向かいやすいと命令を無視する意向を伝え、ド・ゴールもその方針を支持した。 しかしこのルートは南方部隊の進軍経路を横断する形となっており、8月24日の午前7時頃には南方部隊と交錯して大渋滞を来した。 その上ルクレール部隊が向かったアルバジャンとパリの間にはドイツ軍の強固な防衛陣地があったため激しい抵抗を受けた。 そのため第2機甲師団がパリ進軍期間に出した損害の大半はこの日のものであった。 またフランス人による激しい歓迎も変わらず、この日の進軍は北方部隊に属する第2機甲師団主力が15、南方部隊に属する第2機甲師団の一部が12マイルとはなはだ短いものであったが、南方部隊側はパリまで3マイルに迫っていた。 ジロー少将はルクレールにやる気がないと判断し、第4歩兵師団のパリ入城許可を要請し、了承された。 しかしルクレールはその間に戦車3輛、装甲軌道車5輛からなるパリ突入部隊を派遣していた。 突入部隊はパリ南部の ()と ()の間からパリに入城し、午後11時55分に前に到着した。 ラジオはルクレール師団の入城を伝え、の鐘が打ち鳴らされた。 しかしパリ市内のドイツ軍は健在であり、外周防備部隊も帰還してきていた。 そのため街頭に出ていた市民は再度逼塞することになった。 パリ防衛軍の降伏 [ ] 連行されるドイツ軍将兵 8月25日午前0時、アメリカ軍司令官 ()( Raymond O. Barton)少将は ()にパリ進出命令を出した。 ルクレール少将も第2機甲師団の本隊を三つに分けて市内に突入させた。 各部隊はドイツ軍の抵抗と、市民の激しい歓迎にあいながらも、午前11時30分にはアメリカ軍第12歩兵連隊がパリ南東部を占拠し、フランス部隊も、に到着した。 正午、の頂上にシーツで作った三色旗が掲げられた。 この旗を掲げたのは1940年6月30日のの日に、旗を掲げるため、三色旗をおろすことを命じられた消防士であった。 同時刻、フランス国内軍部隊200人がオテル・ムーリスの攻撃を始め、コルティッツ大将も降伏を覚悟し始めた。 しかしコルティッツ大将は正規軍である連合軍に降伏することはあっても、フランス国内軍に降伏することはできないと考えていた。 午後1時、パリの状況にいらだったヒトラーはパリ廃墟命令が実施されているか、作戦部長大将に質問した上で、「Brennt Paris? (パリは燃えているか?)」と3回にわたって叫び、長距離砲や、などあらゆる手段でパリを灰にするよう命じた が、結局外部からの焦土作戦は実行されなかった。 午後1時10分、オテル・ムーリスの玄関にフランス軍の ()( Henri Karcher)中尉ら4人が乗り込んできた。 正規軍と遭遇したコルティッツはこれを降伏の機会と考え、を通じてカルシェ中尉に自分の部屋に来るよう伝えた。 カルシェ中尉は司令官室に乗り込むと緊張のあまり「ドイツ語を話せるか」とドイツ語で叫んだ。 「貴官よりいくらか上手だと思う」と答えたコルティッツは降伏する旨を伝え、司令部員は武装解除した。 コルティッツらはルクレールが司令部を置いたに護送され、降伏文書を提示された。 しかしその文書にあったルクレールの肩書きは「フランス共和国臨時政府パリ軍政司令官・第2機甲師団長」であり、「連合国軍」ではなかった。 するとその部屋にフランス国内軍隊長の ()( Henri Rol-Tanguy)大佐(通称ロル大佐)とフランス国内軍に属する ()(COMAC)共産党代表 ()( Maurice Kriegel-Valrimont)が無理やり入室 し、「ロル大佐にも降伏文書調印資格」があると主張しルクレールと交渉し始めた。 ルクレールと2人の交渉はしばらく続いたが、結局ロル大佐の調印参加が認められ、午後3時30分に降伏文書は調印された。 コルティッツが降伏命令を各部隊に発出したことで、パリ市内のドイツ軍部隊は午後7時35分までにはほとんど降伏し、にいる2600人の部隊を残すのみとなった。 降伏後 [ ] ドイツ軍降伏を知ったパリ市民は、占領期間の有力者や、ヴィシー政府やドイツへの「(協力者)」狩りに乗りだし、次々に対象者への暴行や殺害を行っていった。 またドイツ軍将兵のであったりするなど、ドイツ軍に近しいフランス人女性は、髪の毛を丸刈りにする()、裸にハーケンクロイツを書かれる等のを受けてさらし者にされた。 さらに降伏したドイツ軍将兵に対する暴行や殺害が行われたほか、「ドイツの協力者」と誤認されて暴行などの被害に遭う市民も多数おり(その中にはレジスタンス協力者まで含まれていた )、権力の空白期間が生まれたことで警察機能がなくなっていたこともあり、興奮した市民による混乱はしばらく治まらなかった。 またパリ市内に入城したフランス軍とアメリカ軍を中心とした連合国軍部隊は、開放を喜ぶパリ市民から熱狂的な歓迎を受け、やなどの飲食の提供のみならず、老若男女からの抱擁やを受けることとなった。 解放のパレード [ ] 凱旋門前でパレードを行うド・ゴール ド・ゴールは降伏が成立した後の午後4時半頃に陸軍省に移り、(パリ市庁舎)で臨時政府の帰還と解放を伝える演説を行った後に、翌日の凱旋パレードを計画した。 さらに英米軍に対して将兵の参加要請を出した上に、パレード終了後は第2機甲師団を連合軍の編成から外すと通告してきた。 第5軍団のジロー少将は激怒し、第12軍集団司令部からパレード参加の禁止と前線への前進命令を受け取ってルクレール少将に下命した。 しかしルクレールは「政府の元首」であるド・ゴールの方針に従うと伝え、ド・ゴールもパレード実施を強行した。 にはで第2機甲師団を中心とするパレードが行われた。 しかし市内になおドイツ軍の狙撃兵が残っており、時折銃弾が飛来して市民が慌てて地面に伏せるような事態も発生した。 には、アメリカ陸軍 ()によるパレードが行われた。 この時には警察機能が回復するとともに市民の興奮、混乱も収束し、パリ市内は既に安全な状態となっていた。 とアメリカ軍の車両がパリの道路を進むと、喜びに満ちた群集が彼らを歓迎した。 以後、毎年8月25日にはパリ解放を記念する式典が開かれる。 の60周年記念式典では、オテル・ド・ヴィルの外で音楽に合わせて道で踊る人々の間を、当時のフランス軍とアメリカ軍を表す2種類の装甲車両による軍事パレードが行なわれた。 参考文献 [ ]• 『第二次世界大戦 ヒトラーの戦い』第七巻、(文春文庫、1992年)• 児島襄『誤算の論理』(、1990年) 脚注 [ ] 注釈 [ ] []• 1943年8月1日にと北アフリカのヴィシー政権軍が合併している。 パリ警視庁はこの功績により同年10月12日にに叙されている• 被害に遭った女性のすべてがドイツ人と性的関係を持っていたわけではない(平稲晶子「丸刈りにされた女たち」『ヨーロッパ研究』No. 8、東京大学ドイツ・ヨーロッパ研究センター、2009年、pp. 25 - 41)。 出典 [ ] []• 児島、「ヒトラーの戦い」、262p• 児島、「ヒトラーの戦い」、262-263p• 児島、「ヒトラーの戦い」、260p• 児島、「ヒトラーの戦い」、260-261p• 児島「ヒトラーの戦い」、261p• 児島「ヒトラーの戦い」、264p• 児島「ヒトラーの戦い」、265p• 児島、「ヒトラーの戦い」、266p• 児島、「誤算の論理」、213p• 児島、「ヒトラーの戦い」、272p• 児島、「ヒトラーの戦い」、272-273p• 児島、「ヒトラーの戦い」、274p• 児島、「ヒトラーの戦い」、276p• 児島、「ヒトラーの戦い」、277p• 児島、「ヒトラーの戦い」、278p• 児島、「ヒトラーの戦い」、285p• 児島、「ヒトラーの戦い」、286-287p• 児島、「ヒトラーの戦い」、287-288p• 児島、「ヒトラーの戦い」、288-289p• 「パリは燃えているか? 」(下)P. 288 ドミニク・ラピエール、ラリー・コリンズ著 早川書房刊• 児島、「ヒトラーの戦い」、289-291p• 「パリは燃えているか? 」(下)P. 303 ドミニク・ラピエール、ラリー・コリンズ著 早川書房刊 関連項目 [ ]• (CNR)- レジスタンスの全国組織。 - の映画。 - の映画。 ()-フランス解放時に起きた「」• - ドイツ将校の愛人でスパイ。 パリ陥落後スイスへ亡命した。 - 連合軍が直前まで行っていた軍事作戦。 ドイツ軍は膨大な被害を受けた。 - のソフト。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 , Documentary shot by the French Resistance propaganda, 1 September 1944• - Charles de Gaulle foundation• - BBC News• (フランス語)• (フランス語)• (フランス語). (フランス語)• (フランス語)• (フランス語).

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facebooookのブックマーク / 2020年6月7日

パリ は 燃え て いるか ヒトラー

概要 [ ] 30か国以上のから、収集した貴重な映像と回想録や証言等でを描いた番組である。 のナレーションによる無駄のない淡々とした進行、メインテーマ「パリは燃えているか」を始めとするの手がけた音楽も、大きな反響を得た。 回想録や証言を朗読するはが担当している。 第1集は、終盤()に上映された『』の映像から始まるが、オープニングでは題名と伴に、で "The 20th Century"()と表示され、番組の主題は20世紀に置かれている。 の英語版では、番組名が The 20th Century on Film と表記されており 、それとは表記が異なるがにも同義の英題(後述)が添えられている。 このドキュメンタリーを制作するにあたっては、この1995年がNHK放送70周年・後50周年であるのに加え、のらが、現在の映写技術を確立した1895年から数えて100周年になることから、それに間に合わせようと、NHKの番組スタッフとアメリカの国際共同取材が、国内はもとより、各地から、20世紀の記録映像を5年以上にわたって収集、編集を行い、現代(1995年)の視点から、20世紀の記録を克明に映し出し、多くの反響が寄せられ、日本国内の戦後史を取り上げた『』と並ぶ、戦後50周年・放送70周年の記念アーカイブ番組として親しまれた。 再放送が1999年、2000年、12月に行われたほか、歴史ドキュメンタリー専門チャンネルのにおいて1月より毎月末に1シリーズずつ、11月より、において毎週放送された。 また、10月には戦後70周年とNHK放送開始90周年を記念し、続編となる『』をNHKスペシャルの枠で放送することになり、そのプレ企画としてで、20年前に放送した内容を再構成した『版映像の世紀』として、同年9月中の毎週土・日曜(、を除く)と、(の水曜日)、 - に再放送された。 1996年にはから放送を再構成した3作品(「新世紀の夜明け」「皇帝の終焉」「ヒトラーの野望」)が発売された(絶版)。 映像のほか、写真・図版が収録された。 同年にはからソフト22巻が発売されたが、これは1話における内容自体が多いことを考慮し、本編部分を分割した上で前後編に再編集したためである。 BOXには解説書が封入。 はにNHKソフトウェアからDVD-BOX全11集が、にはNHKエンタープライズからシリーズ全11集に特別ディスクを収録した「SPECIAL BOX」として改めて発売され、DVD単巻も発売された(収録映像は、放送とは一部異なる)。 2016年には後述のデジタルリマスター版がDVDと(いずれもBOX)で発売された。 インターネットのの「特選ライブラリー」で有料配信されていたが、2015年8月末を持って配信終了となり、以降はデジタルリマスター版が「特選ライブラリー」で順次有料配信されている。 全シリーズ [ ] 集数 タイトル 初回放送日 第1集 20世紀の幕開け ~カメラは歴史の断片をとらえ始めた~ 第2集 ~の兵士たちは凄まじい兵器の出現を見た~ 1995年 第3集 それはから始まった ~噴き出した大衆社会の欲望が時代を動かした~ 1995年 第4集 の野望 ~人々は民族の復興を掲げたに未来を託した~ 1995年 第5集 世界はを見た ~、、そして~ 1995年 第6集 独立の旗の下に ~に向けて、は苦難の道を歩んだ~ 1995年 第7集 の世界分割 ~東西のはから始まった~ 1995年 第8集 恐怖の中の ~東西の首脳は最終兵器・を背負って対峙した~ 1995年 第9集 ~アメリカ社会が揺らぎ始めた~ 1995年 第10集 果てしなく ~絶え間ない戦火、さまよう民の慟哭があった~ 第11集 ~が見た・・~ 1996年 別巻 - 歴史の舞台を廻る - (オリジナルビデオ)• 第4集、第6集、第9集、第10集のタイトルは、第1集放送時には仮題「国家の狂気」「革命いまだならず」「超大国が揺らぎ始めた」「さまよえる民」として予告された。 デジタルリマスター版 [ ] 映像素材を再収集・構成し、画質および音質のだけでなく、一部シーン・ナレーションの見直しや使用BGMの差し替え等が行われている。 映像自体はピラーボックス(映像によりわずかに拡大することがある)だが、字幕テロップは16:9用に新しく入れ直され、フォントや表示位置、内容の一部が変更されている。 テーマ音楽「パリは燃えているか」についても、一部を除いて『新・映像の世紀』と共通の新バージョン(演奏・、指揮・)に変更されている。 英語版 [ ] 2016年から、内で「映像の世紀」と「新・映像の世紀」を再構成したものを、30分枠でで放送している。 などのショッキングな映像も流れるため、番組が始まる前に「18+」というテロップが流れる。 サウンドトラック [ ] サウンドトラックは1995年にから発売された。 タイトルは『NHKスペシャル「映像の世紀」』。 なお都合上、収録しきれなかった曲はに発売された『「パリは燃えているか」 NHKスペシャル「映像の世紀」オリジナル・サウンドトラック完全版』に収録されている。 以下が収録作品。 NHKスペシャル「映像の世紀」 (英題: NHK Special The 20th Century in Moving Images Original Soundtrack)• パリは燃えているか -メインテーマ-• ザ・サードワールド• 睡蓮のアトリエ• シネマトグラフ I• 大いなるもの、東方より• 機械工場• トルストイの手紙• 新大陸に誘われて• パリは燃えているか -宇宙篇-• 時の刻印• シネマトグラフ II• はるかなる王宮• パリは燃えているか -追憶篇- 「パリは燃えているか」 NHKスペシャル「映像の世紀」オリジナル・サウンドトラック完全版 (英題: "Is Paris Burning" NHK special The 20th Century in Moving Images Original Soundtrack Complete)• パリは燃えているか オープニング・テーマ• 時の刻印 II• 大いなるもの東方より II• パリは燃えているか ピアノ・トリオ・ヴァージョン• 最後の海戦• 森は失われた• パリは燃えているか オルガン・ヴァージョン• ワン・ワールド• 狂気の影• パリは燃えているか オーケストラ・ショート・ヴァージョン• シネマトグラフ III• 最後の海戦II• パリは燃えているか ブラス・ヴァージョン• 未来世紀• ザ・サード・ワールド II• パリは燃えているか ジャズ・ヴァージョン• 時の刻印 III• 睡蓮のアトリエ II• パリは燃えているか ピアノ・ソロ・ヴァージョン このうちメインテーマ「パリは燃えているか」は高い評価を得て、『』など他のCDにも収められている。 また、ブエナビスタから発売されているドキュメンタリー『もののけ姫はこうして生まれた。 』のBGMにも、この番組の音楽が多用されている。 また、一部の音楽は『新・映像の世紀』においても引き続き使用されている。 スタッフ [ ] 音楽 [ ]• ナレーション [ ]• - NHKアナウンサー(当時) 声の出演() [ ]• 脚注 [ ] 注釈 [ ].

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パリの解放

パリ は 燃え て いるか ヒトラー

めちゃくちゃ有名な『パリは燃えているか?』だが、どの媒体からこのタイトルを知ったかは人によって違うのではないだろうか。 映像の世紀で使われている曲名もそうだし、本書を原作とする映画もある。 この二者に比べると、ベストセラーとはいえノンフィクションで読んだ/知った人はあまりいないかもしれない。 本書は第二次世界大戦中、ドイツ軍によって占領下にあったパリにおいて、ドイツ軍が連合国軍に駆逐され解放に至るまでをおったノンフィクションである。 占領自体は1940年から始まっているわけだが、話のメインとなるのは1944年の8月、まさにパリ解放をめぐる戦いが行われたその瞬間をメインに描いていく。 同時期のノルマンディー上陸作戦などと比べれば戦争の行く末を左右するような重要ポイントというわけではないが、言うまでもなくパリはフランスの中心であり、道路、鉄道、運河がパリに集中している。 エッフェル塔、ルーブル美術館と文化の象徴でもある。 ここはフランス全土を支配する行政の中心である。 はかりしれぬ宝庫の番人たる誇りをもつ三百五十万のパリ市民は、ひしひしとその脅威を感じていた。 さらに彼らの背後には、全世界の何百万もの人たちが、パリこそは自由世界がナチ・ドイツと闘って防衛する価値のあるものだ、とみなしていた。 『「もしパリが陥落したら、そのニュースは全世界にたちまちのうちにひろがり、ドイツ国防軍やドイツ国民の士気に破壊的影響をあたえるだろう」』とは本書でヒトラーの言葉として紹介されているものだが、まさにこの言葉通り「象徴として」重要な拠点でもあったのだ。 だからこそヒトラーは自軍が撤退せざるをえなくなった場合でも、徹底的に産業を破壊し尽くすように命令をはなす。 「パリは、どんなことがあっても敵の手に渡してはならない。 もし敵に渡すようなことがあっても、そのときはパリは廃墟になっているだろう」 コルティッツという主人公 ヒトラーはディーとリッヒ・フォン・コルティッツ将軍に対し、パリを前線基地に作り変え、パリに架かる橋をすべて爆破し、産業を破壊しろと命令し派遣する。 破壊しろとはいっても、それは防衛を放棄しろということではない。 設備を破壊し尽くせば市民が一斉にレジスタンスに変貌するに違いなく、同時にインフラが破壊された都市で防衛をするドイツ軍自体を追い詰めることになりかねない。 大量に集められた資料からまるで三人称視点の物語のように出来事を語っていくのが本書のスタイルだが、あえて一人主人公を挙げるとすればコルティッツになるだろう。 ヒトラーは一刻も早くパリを爆破しろと急かしてくるが、彼は「"パリ市民の一斉蜂起"を招くからもう少し遅らせられないか」とか、レジスタンスとの停戦交渉、裏切りとも取れるような連合国軍へ密使を送る行為を繰り返して「命令に従いパリを破壊する」「命令に逆らってパリを破壊しない」の間で揺れ動き続ける。 コルティッツは、長いあいだ沈黙したまま、身動き一つせず、枕に頭を埋めていたことを思いだす。 こうして、四十八時間以来、夜となく、昼となく彼を悩ましつづけた恐ろしい矛盾。 命令に背くかパリを破壊するかという矛盾が、いまや悲劇的な解決を迫ってきたのである。 軍人としては戦わねばならないと決意しながらも、一方でそれがどのような真意に基づくのかは誰にもわからないがパリを破壊したくないとも強烈に思い、二律背反に苛まれていくさまがたまらなくおもしろい。 コルティッツがあの手この手でパリ破壊をやり過ごしている間に、レジスタンスの動きは活性化し連合軍はパリ奪還作戦を開始する。 ヒトラーからすればパリ市街を守り、もしもの時には破壊するための部隊を増援まで含めて送っているわけであって、いつまで経ってもパリが破壊されないのは理解不能であったことだろう。 そこで、あのセリフが出てきてしまうわけである。 「パリは燃えているのか?」と。 ヒトラーが怒号とともに「パリは燃えているのか?」と問いかける一連のシーンを引用しようかとも思ったけど、クライマックスにあたる実においしい部分だからぜひ読んで楽しんでもらいたいとぐっと我慢する。 史実であるのはわかってはいるが、ついつい一緒になって「燃えているのか!?」と盛り上がってしまうのだ。 誰もが主役 パリは最終的に破壊されることなく解放されるが、その功績はコルティッツだけに帰せられるものではなくパリをめぐって死力を尽くしたすべての人々によって、微妙な均衡点を制した上で成立した事態であることが本書を読むとよくわかる。 ヒトラーが奇蹟の人とみなす、強烈な実行力を持って西部軍総司令官に着任するモーデル元帥、命がけで反旗を翻すパリのレジスタンスの面々、ドイツ軍へ一矢報いようと無残にも死んでいった無名の個人までを含めて、パリの解放を主軸としたさまざまな人間模様が生き生きと描かれているのだ。 僕が特に気に入ったのは、解説でも引用されているが、花のような赤いスカートをはいた少女が、ドイツ軍戦車に走って突撃して、キャタピラをよじのぼり、シャンペンの壜を砲塔に叩き込んで戦車を爆破するエピソードだ。 少女はその名前も出てこないのだが、長篇がつくれるぐらいに鮮烈な存在感を残すんだよね。 数フィート離れたところで彼女は雨あられとふりそそぐ機銃に撃たれて舗道に倒れた。 "鞭でうたれたひなげしのように"スカートが舗道の上にひろがった。 だが、あとの三台の戦車は退却した。

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