くるみ 割り 人形 ねずみ。 【TV放送】チューリヒ・バレエ『くるみ割り人形とねずみの王様』

イレールのくるみ割り人形

くるみ 割り 人形 ねずみ

物語 [ ] 医務参事官シュタールバウム家のあるクリスマスの情景からはじまる。 この家には上からルイーゼ、フリッツ、マリーの3人の子供がおり、下の娘マリーは7歳になる。 彼女はたくさんのクリスマスプレゼントのなかから不恰好なをみつけ、これがすっかり気に入るが、これをフリッツが大きな胡桃を無理に割ろうとして故障させてしまう。 くるみ割り人形を気の毒に思ったマリーは、その夜、戸棚に飾ってある他の人形のベッドを借りてくるみ割りを休ませようとする。 するとあたりの様子が変化し、地面から7つの首をもつネズミの王様が軍勢をともなって現われる。 それに対してくるみ割り人形が動き出し、ほかの人形たちを率いてネズミの軍を相手に戦争を始める。 マリーがくるみ割りの窮地を救おうとすると、彼女は不意に気を失い、気がつくと包帯を巻かれてベッドに寝かされていた。 母親たちの話では、マリーは夜中まで人形遊びをしているうちにガラス戸棚に腕を突っ込んで怪我をしてしまったのだという。 マリーが名付け親であるドロッセルマイヤーおじさんにこのことを話すと、彼は「ピルリパート姫」にまつわるおとぎ話を話して聞かせる。 物語の中では姫はネズミの呪いを受けて醜くされてしまうが、時計師ドロッセルマイヤーとその甥の活躍でもとの美しさを取り戻す。 しかしその身代わりにまだ若い甥のドロッセルマイヤーが醜い姿に変えられてしまったのだった。 この話を聞くと、マリーは彼女のくるみ割りこそが青年ドロッセルマイヤーなのだと考える。 こののち、マリーのもとに夜な夜なネズミの王様が現われ、くるみ割りの安全と引き換えにマリーのお菓子を要求するようになる。 マリーが仕方なく戸棚の敷居に菓子を置いておくと、翌朝にはネズミによって食い荒らされているのだった。 しかしネズミはさらにマリーの絵本や洋服まで要求するようになる。 マリーが困ってくるみ割りに話しかけると、彼は一振りの剣を与えてほしいと答え、マリーは兄フリッツに頼んで兵隊人形の剣を一振りもらう。 その夜、くるみ割りがマリーのもとに現われ、もらった剣でネズミの王様に打ち勝ったことを告げる。 そして助けてもらったお礼として、彼はマリーを美しい人形の国へ招待する。 翌朝、自分のベッドで目覚めたマリーは夢のような人形の国の情景が忘れられず、家族にそのことを話してまわるが、誰からも取り合ってもらえなかった。 そうした中、ドロッセルマイヤーおじさんが甥の青年を連れて尋ねてくる。 感じのいいこの青年は、マリーと二人きりになると途端に、自分がマリーに救われたくるみ割り人形だと告げ、彼女のおかげでもとの姿に戻れたのだと話す。 彼はいまや人形の国の王様であり、マリーを王妃として迎えに来たのだった。 解題 [ ] 作品は、クリスマスに人形が命をもって動き出すメルヒェン物語であり、この作品に続く人形が活躍する児童文学に大きな影響を与えた。 ホフマンは『』を発表したのちに本作品の構想をはじめ、『』(1815年)とほぼ同時期に本作品を完成させており 、1816年12月7日、ホフマンの企画により発行されたクリスマス童話集『子供のメルヒェン』に収録された。 この童話には批判が多くあつまり、1816年の新聞では「誰がこれを子供に読み聞かせられようか?」「不適切な冗談によって鼻持ちならない堕落しきったものになっている」「子供たちの理解力にふさわしいか否か考慮されなかったのか」などと批評された。 これには当時の社会情勢として、多くの子供たちが身分制を原因とする社会的貧困の中に置かれており、この物語で描写される「立派な家で両親に見守られて幸せな暮らしをする」のは上流階級の子供たちだけだったことも原因にあげられる。 1819年、この物語は『ゼラーピオン同人集』にホフマンによるこれらの批評への反論とともに再録された。 ホフマンの原作は難解であり、現代ではドイツで発行される場合であっても大抵の場合は子供向けの本では原文によみやすく手を入れた状態で発行される。 この物語はもともと、作者ホフマンが友人 ()の子供のために即興で作ったものであった [ ]。 ヒッツィヒにはクララ、フリッツ、マリーという名の子供たちがおり、自分の娘を幼くして亡くしていたホフマンはこの子供たち、特にマリーをよく可愛がっていた [ ]。 この話はマリーのためのクリスマスプレゼントとして作られたものであったらしい。 作中で不気味な雰囲気を漂わせている、話好きで手先の器用な「ドロッセルマイヤーおじさん」には、容貌魁偉で「お化けのホフマン」などと言われていた作者ホフマンのイメージが重なる [ ]。 によるバレエ「」の原作であるが、台本の草案を書いた振付師のプティパはドイツ語を解さなかったため、実際にはが息子と合作・翻案した『はしばみ割りの物語』 が下敷きに用いられている。 デュマ版は登場人物の行動を具体的に記述する傾向があるなどの違いがあるが、ストーリーの流れはホフマン版と同じである。 バレエはこれを大幅に短縮し、最初の戦争にマリーが助勢したことでネズミの軍に対する勝利を確定させ、「ピルリパート姫」以降の話を全面的に省略して雪の国から人形の国へ行く場面へと進み、人形の国(お菓子の国)での様々な登場人物の描写に後半部の大半を使っている。 また、主人公の少女の名前がホフマン版やデュマ版の「マリー」から「クララ」(原作では冒頭でマリーが貰った人形の名前の愛称)に変更されている。 このバレエのほか、バレエおよび童話を原作として映画やアニメーション作品がいくつもつくられている(を参照) [ ]。 脚注 [ ] 注釈 [ ] は列挙するだけでなく、などを用いてしてください。 記事のにご協力をお願いいたします。 ( 2020年5月)• E・T・A・ホフマン 『くるみ割り人形とねずみの王様』 種村季弘訳、河出文庫、1995年• ホフマン 『クルミわりとネズミの王さま』 上田真而子訳、岩波少年文庫、2000年• 木野 光司「子供の幻想文学の誕生 : 『くるみ割り人形とねずみの王様』の考察 長橋芙美子教授退任記念号 」『人文研究』第44巻第8号、大阪市立大学、1992年、 567-582頁、。 若宮 由美「子どもの関心を広げる芸術作品への総合的アプローチ--《くるみ割り人形》の分析的研究」『埼玉学園大学紀要. 人間学部篇』第8巻、埼玉学園大学、2008年12月1日、 139-150頁、。 皆川 美恵子「〈本棚〉古典の散歩道: 『くるみわり人形とねずみの王様』」『幼児の教育』第113巻第2号、日本幼稚園協会、2014年4月1日、 46-51頁、。 ホフマン『くるみ割り人形とねずみの王さま/ブランビラ王女 識名章喜「解説」より 』大島かおり訳、光文社〈光文社古典新訳文庫〉、2015年。 土屋邦子「E. ホフマンの『くるみ割り人形とねずみの王様』における二重性の超克」『DA』第11巻、神戸大学、2015年、 51-70頁。 外部リンク [ ]• (ドイツ語) -.

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【くるみ割り人形】あらすじをサクッと簡単にまとめてみた!|3分で読める!昔話の簡単あらすじ

くるみ 割り 人形 ねずみ

この項目では、バレエ作品およびその音楽について説明しています。 その他の用法については「」をご覧ください。 チャイコフスキーの三大バレエの一つであり、初演から100年以上を経て数多くの改訂版が作られている。 ちなみにとは、元々のことである。 ロシア帝室バレエの(ドラジェの精)と(王子)。 1900年頃。 チャイコフスキー作曲・振付で成功を収めた 『』()の次作として、の支配人であったイワン・フセヴォロシスキーはのの童話 『』 を原作とするバレエを構想し、再度チャイコフスキーに作曲を依頼した。 直接に参照したのはホフマンの原作ではなくによるフランス語版の小説 とされており、これらの筋立てをバレエでは大幅に簡略化している。 が台本を手掛け、振付も担当する予定であった。 しかしプティパはリハーサル直前に病に倒れてしまい、振付は後輩のに委ねられることになった。 プティパとフセヴォロシスキーの要求の板挟みになったイワーノフは苦心惨憺して完成させ、初演は( では6日)、のにて行われた。 観客の反応はまずまずであったものの、主題が弱いと考えられたことなどから大成功とまでは言えず、ポピュラーな作品となるまでにはやや時間を要したという。 初演が大成功と呼べるものでなかったことから、定番となる演出・振付がなく、21世紀に入った現在も新演出・新振付が作成されている。 主な演出・振付については参照。 現在では大きく分けると、1幕の主役であるクララと2幕の主役である金平糖の精を同じダンサーが踊る演出と、クララは子供が演じ金平糖の精は大人が踊る演出の2パターンある。 後者では1幕にそのバレエ団のトップダンサーであるは登場せず、プリンシパルが踊るのは2幕の後半ののみと登場時間の短い演出になる。 細かく見ると、次のバリエーションがある。 主人公の名前 — マリー クララ マーシャ• 連れて行かれる先 — おとぎの国 お菓子の国• 踊りの見せ場 — 主人公が踊る 金平糖が踊る あらすじ [ ] 第1幕 [ ] 劇場支配人イワン・フセヴォロシスキーによる初演の衣装スケッチ。 しかし、その場にいた人間がねずみの女王を踏み殺してしまったために王子は呪われ、くるみ割り人形になってしまう。 第1場 [ ] クリスマス・イブの夜、ドイツのシュタールバウム家の大広間ではパーティーが行われている。 少女クララはドロッセルマイヤー老人からくるみ割り人形をプレゼントされる。 ところが、取り合いになり弟のフリッツが壊してしまったので、ドロッセルマイヤー老人が修理する。 客も帰りみんなが寝静まってから、クララは人形のベッドに寝かせたくるみ割り人形を見に来る。 ちょうど時計の針が12時を打つ。 すると、クララの体は人形ほどの大きさになる(舞台ではクリスマスツリーが大きくなることで表現される)。 そこに、はつかねずみの王様が指揮する、はつかねずみの大群が押し寄せる。 くるみ割り人形の指揮する兵隊人形たちがはつかねずみ達に対し、最後はくるみ割り人形とはつかねずみの王様のとなり、くるみ割り人形あわやというところで、クララがスリッパをつかみねずみの王様に投げつけ、はつかねずみたちは退散する。 倒れたくるみ割り人形が起きあがってみると、凛々しい王子になっていた。 王子はクララをお礼に雪の国とお菓子の国に招待し、2人は旅立つ。 第2場 [ ] 雪が舞う松林に2人がさしかかる(雪片の踊り - 雪の精たちの) 第2幕 [ ] お菓子の国の魔法の城に到着した王子は女王の精(日本では「こんぺい糖の精」と訳されてきた)にクララを紹介する。 お菓子の精たちによる歓迎の宴が繰り広げられる。 劇末はクララがクリスマスツリーの足下で夢から起きる演出と、そのままお菓子の国にて終わる演出がある。 全タイトル(バレエ音楽) [ ] 第1幕 雪片のワルツ 音楽・音声外部リンク 全曲を試聴する - 指揮による演奏。 EuroArts()公式YouTube。 《演奏会形式》 - 指揮による演奏。 公式YouTube。 全曲の演奏時間は約1時間25分(第1幕約45分、第2幕約40分)である。 録音や演奏会などではや抜粋で演奏されることもある。 以下、に明記された各曲のフランス語名称 の日本語訳と、【 】内に音盤などで慣例的に用いられている名称、[ ]内に説明を記す。 序曲 Ouverture• 第1幕• 第2曲 行進曲 Marche• 第9曲 雪片のワルツ Valse des flocons de neige• 第2幕• 第12曲 Divertissement [登場人物たちの踊り]• チョコレート Le Chocolat - Danse espagnole 【スペインの踊り】 []• 葦笛 Les Mirlitons 【フランスの踊り】• 第13曲 花のワルツ Valse des fleurs• 第14曲 Pas de deux 【金平糖の精と王子のパ・ド・ドゥ】• 【アダージュ】• ヴァリアシオン I Var. I []• ヴァリアシオン II ドラジェ(日本では金平糖)の精の踊り Var. Coda• 指揮者自身の公式YouTube。 これらの音声や映像がうまく視聴できない場合は、をご覧ください。 音楽・音声外部リンク 組曲版(作品71a)第8曲 花のワルツ(Valse des fleurs)のみ - Giovanni Pacor指揮中央ヨーロッパ管弦楽団による演奏。 中央ヨーロッパ管弦楽団(Mitteleuropa Orchestra)公式YouTube。 - Giulio Marazia指揮Orchestra Filarmonica Campanaによる演奏。 Orchestra Filarmonica Campana公式YouTube。 バレエ「くるみ割り人形」作品71aは、チャイコフスキーがバレエ音楽から編んだ組曲である。 「くるみ割り人形」作曲中のチャイコフスキーはこの頃、自作を指揮する演奏会を企画していたが、あいにく手元に新作がなく、また作曲する暇もなかったため、急遽作曲中の「くるみ割り人形」から8曲を抜き出して演奏会用組曲とした。 バレエの初演に先立ち、初演された。 組曲版の演奏時間は約23分。 作曲家自身のセレクトということもあり、「」「眠れる森の美女」の組曲 と異なって、この構成は大抵の演奏において不変である。 以下は慣例名による。 第1曲 小序曲 Ouverture miniature Allegro giusto、変ロ長調、4分の2拍子(複合2部形式。 展開部を欠くソナタ形式とも取れる)。 この小序曲のみ編成から低弦、つまりとが除かれ、を指示されている。 このバレエ全体のかわいらしい曲想を感じさせる。 おとぎ話のような主題がにより提示される。 これらは、などに引き継がれ、次第に大編成化する。 すると一転してによる叫びがあり、メロディックで優雅な第2主題(ヘ長調)が提示される。 この後、第1主題・第2主題(変ロ長調で再現)はそのまま反復される。 A-B-A-C-A-B-Aの形を取る。 タイトルの原題は「 の精の踊り」だが、日本ではドラジェは一般的でなかったためにこの邦題が定着して現在に至っている。 同様に英語圏ではクリスマスのキャンディーである「の精の踊り(Dance of the Sugar Plum Fairy)」となっている。 当時、発明されたばかりであったを起用した最初の作品として広く知られる。 当初、このパートは天使の声と喩えられた珍しい楽器(または別種の「ガラス製木琴」)のために書かれており、後に旅行先でチェレスタと出会ってから楽器指定を変えたことが明らかになっている。 なお、チャイコフスキーは初演まで、チェレスタを使用することを公言しなかった。 チャイコフスキーはパリから楽器を取り寄せる際、モスクワの業者に送った手紙の中に「他の作曲家、特にとに知られないように」と言う趣旨のことを書いており、先に使われるのを防ぐ目的があったようである。 第4曲 ロシアの踊り (トレパック) Danse russe Trepak Tempo di Trepak, Molto vivace、ト長調、4分の2拍子(複合三部形式)。 第5曲 アラビアの踊り Danse arabe Allegretto、ト短調、8分の3拍子(形式)。 この曲のベースになった曲は民謡の子守唄である。 第6曲 中国の踊り Danse chinoise Allegro Moderato、変ロ長調、4分の4拍子(小三部形式)。 第7曲 葦笛の踊り Danse des mirlitons Moderato Assai、ニ長調、4分の2拍子(小ロンド形式)。 A-B-A-C-Aの形を取る。 おもちゃの笛「」が踊る。 第8曲 花のワルツ Valse des fleurs Tempo di Valse、ニ長調、4分の3拍子(複合三部形式)。 クラシック音楽の全体の中でも非常にポピュラーな曲であり、単独で演奏されることも多い。 序奏にはが効果的に用いられる。 のののちに、によりが提示される。 続くは弦による有名な旋律である。 さらに風の旋律がに、情熱的な旋律が・に提示される。 前者2つは結尾部でまとめられ、大交響楽的なを迎える。 脚注 [ ]• Beaumont, Cyril W. , Complete Book of Ballets, 1949, Putnam, p. 633. がこれに当たる。 ibid. , p. 634• チャイコフスキーの前作『』『 眠れる森の美女』が成功して、このバレエ版を作曲したが、初演は不評に終わる。 台本が悪すぎたのが原因の一つだった。 ホフマンのお伽話を元にアレクサンドル・デュマ・ペールが描いた童話がロシアで広く知られていて、これを脚色してバレエの台本が書かれたが、前半は物語はおもしろいが踊りが地味、後半は踊りは美しいが物語が展開しない、しかも結末があいまいで、上演されなくなった。 チャイコフスキーはバレエの初演より先に演奏会用の組曲版を作っていてオーケストラの演奏会用の新作を依頼されたが忙しくて、下書きがほぼ終わっていたバレエ用の曲から8曲を選び、先に完成させた。 チャイコフスキー自らが指揮をした組曲版が大成功し、8曲中7曲がアンコール演奏された。 組曲版の成功からバレエ版もロシアで復活して、世界に広まった。 "The Nutcracker, Complete Ballet in Full Score", Dover Publications, 2004 による。 ibid, p. 353• どちらも『組曲版』の楽譜が出版されているが、前者は作曲家の意志が反映されているか不明であり、後者はが作曲者に提案して決めたものとされる。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 『』 - チャイコフスキーの歌劇。 支配人の求めにより、チャイコフスキーはこのオペラと『くるみ割り人形』とを同時上演するために作曲した。 外部リンク [ ]• バレエ音楽『くるみ割り人形』作品71• の楽譜 -。 として無料で入手可能。 - 『』より• - 『Tchaikovsky Research』より• バレエ組曲『くるみ割り人形』作品71a• の楽譜 -。 として無料で入手可能。 - 『Musopen』より• - 『Tchaikovsky Research』より.

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【TV放送】チューリヒ・バレエ『くるみ割り人形とねずみの王様』(2018年12月24日(月)午前0時00分~)

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記事の方針• 一旦個人的に気になったところをリストアップいたしました。 ご確認いただけますようよろしくお願いいたします。 「1816年に発表され、」の箇所• 発表の年代が何に基づいているのかが不明瞭。 記事の発展なので今回の主な議題からは少しそれるが、どういった形で発表されたのかがあるとなお良し。 ゼラピオン同人集に関しては少なくともドイツ語版他2言語で記事があったため、単体記事を作るなどしてこの記事で詳細を記すことは必須ではないと思案。 「チャイコフスキーのバレエ『くるみ割り人形』の原作として知られる作品である。 「知られる」のは誰に対してか。 またどうやって知られるようになったか。 余談だが「知られる」ようになるまでに必ず経緯があるはずなので、そこを書くと記事の発展には繋がり易いと考えられる。 「知られる」地域にも差があると考えられるので、どの辺で知名度が高いという話ができると記事が充実するが、本題からも逸れるので頭に置いておく程度はしたい。 「~即興で作ったものであった。 」の文• 断言しているが複数資料に同一の記述があったのか、本人が断言したのか、それとも後世の有識者が判定したかが不明瞭。 以下同様の疑問に関してパターンAとする。 「~自分の娘を幼くして亡くしていたホフマンはこの子供たち、特にマリーをよく可愛がっていた」の文• ほぼ引用箇所がパターンA。 「この話はマリーのためのクリスマスプレゼントとして作られたものであったらしい。 「誰が」そう判定したかが不明。 独自研究ととられかねない。 「らしい」ということは著者ではないと思案。 以下同様の疑問に関してパターンBとする。 「~作者ホフマンのイメージが重なる。 」の文 文全体がパターンB。 「~フランス語版が元になっている」の文 記載箇所がパターンA。 「~人形の国(お菓子の国)での様々な登場人物の描写に後半部の大半を使っている」の文 文全体がパターンB。 「また、主人公の少女の名前がホフマン版やデュマ版の「マリー」から「クララ」(原作では冒頭でマリーが貰った人形の名前の愛称)に変更されている。 」 第三者からの判断が欲しいと思案(Wikipediaの一編集者の判断ではないと言いたい)。 余談だが、これは三種類の『くるみ割り人形とねずみの王様』があり、それぞれ原作のホフマン版、フランス語で書かれたデュマ版、著名なバレエのバレエ版それぞれの違いをある程度まとめたものが調査があってもいいと思案。 概ね、あらすじ以外の箇所全般になります。 あらすじはホフマンの原作ベースという認識でよろしいでしょうか。 --() 2020年5月20日 水 14:34 UTC 論点整理ありがとうございます。 出典検索の方針自体が自明でないものがあるので、御意見をいただければと思います。 「人形の国(お菓子の国)での様々な登場人物の描写に後半部の大半を使っている」「また、主人公の少女の名前がホフマン版やデュマ版の「マリー」から「クララ」(原作では冒頭でマリーが貰った人形の名前の愛称)に変更されている。 」の2件については、「原典を読めば誰にでも明らかな事実」で独自研究にも値しない内容です。 このことに言及した文献はいくらでもありますが、ありすぎて困る、つまり根拠文献として特定するに値するものが存在しないという状況です。 こういう場合はどうするべきなのでしょうか。 --() 2020年5月21日 木 11:46 UTC 前提として、当方はかという話だと、前者の人間だと考えております。 もし、さんが反対側の考えを重んじる方だった場合、議論を行ったところで少なくとも二者間の場合平行線になる可能性が高いと考えております。 それだと疲弊するだけで得るものがなさそうなので、一旦その2点を後回しにして、出典が示せそうな箇所や記事の発展に繋がりそうなところを優先して調べていくのが効率がいいと考えます。 その過程でもし同様のことを明示的に示すものが見つかった場合、専門的な内容に近いものを代表として2点程度出典に示すのがいいかと考えております。 明示されている出典がなさそうであればコメント依頼を出すなりして、改めてどうするかを考えるというのはいかがでしょうか。 --() 2020年5月21日 木 12:19 UTC すみません、追加なのですが、後半部の大半、というのはできれば定量的に示せた方がという観点からするとベターなのかなと思いますがいかがでしょうか。 --() 2020年5月21日 木 12:28 UTC この場合、の趣旨とは少しズレると思います。 が成立しないんですよ。 適切な出典が存在しないことが自明なんです。 なぜかというと、もう1段階前の情報である「原典」、具体的には「参考文献」や「出典」に既に記載されているホフマン版とデュマ版に加えてプティパ版(バレエの台本)のテキストがあれば、そこから自明な論理で導出できることだからです。 従って、それを敢えて主張する文献を誰かが遺す動機が無い。 「教科書」的な文章で「解説」として触れられている可能性はありますが、確実に存在する保証は全く無いし、発見したとしてもそれが他の文献を押しのけて挙げるに適切と判断できる可能性は限りなく低い。 だったら、出典としては「原典」を挙げれば充分で、そこから目的とする記述に必要な情報を導出する「理路」の出典は不要なんじゃないかという考え方も有り得ます。 自明なのは「空が青い」に相当する事実ではなく、現実的に可能な出典文献から結論を導出する「理路」なんです。 そこの違いは認識していただきたいところです。 --() 2020年5月22日 金 12:50 UTC ご意見を汲み取り切れておらず、申し訳ございません。 その理路の話が出てしまうこと自体が、大変申し訳ございませんが疑問符だらけになってしまいます。 当方は「なければ我々素人があれこれ言う話ではないのでは?」という考えで、それこそ自明なのであれば我々が百科事典の記事の中に書くことではなく、Wikipediaの枠の外で読み手個々人が自分たちで導き出すものであるものだと考えています。 ゆえにそのことを書かないで読み手の判断に任せればいい、我々が変に決まった理路を作る必要性はないのではないかというのが当方の考えです。 --() 2020年5月22日 金 13:39 UTC 二者間であれこれ言っていても進まなそうなので、コメント依頼を提出致しました。 --() 2020年5月23日 土 11:59 UTC 「変に決まった理路を作る」というのは、この場合には全く当たらないと考えます。 「作るほどのこともない理路」なのですから。 そもそも百科事典というのは出典を必ずしも「そのまま引用」するものではなく、必要に応じて「要約引用」するのは当然のことです。 「要約引用」に際して2点ないし3点程度の出典の情報を併せて要約するのも、状況によっては可能です。 問題になっている「登場人物の描写に後半部の大半を使っている」「主人公の少女の名前が変更されている」の2件を導く「理路」とは、その程度のものに過ぎません。 --() 2020年5月23日 土 12:55 UTC• コメント 出版の経緯や当時の評価など加筆しました。 出典に加えた若宮 2008 ではバレエ・ホフマン版・デュマ版の相違について触れており、その注釈では15)で登場人物の違いに触れていて、16 では「ホフマン版とデユマ版の相違については、平林1998で詳しく論じられている」とありますので、資料がないことは無いのでしょうね。 ウィキペディアの編集者が行うのは編集であって検証・分析ではないので「各作品の違い」はどこかで発表されている内容を基にすべきでしょう。 ところで「この物語はもともと~(中略)~イメージが重なる。 」の出典はどこでしょうか。 --() 2020年5月26日 火 06:34 UTC• ところで「~として知られる」という表現は私も使ってしまいがちなのですが、そのように紹介されている資料がなく「~である」に留めても説明できる内容が大きく変わらないのであれば、避けたほうが良いかもしれませんね。 河出文庫の種村訳本の販促あおり文に「バレエで有名な「くるみ割り人形」の 知られざる原作」とあるのをみつけて少し笑ってしまいました。 --() 2020年5月26日 火 07:19 UTC 別に時間はとってもいいとは思うのですが、現在議論になっている箇所に関して出典を提示できない場合、除去もやむを得ないと思うのですが、ご意見を伺えますでしょうか。 --() 2020年6月3日 水 12:00 UTC 恐らくですが、解題の内容は参考文献にあげている日本語訳書籍の訳者解説あたりから引っ張ってきたんだろうなあと推測できるのですが、それならそう編集したさんに指していただかないとわからないです。 しかし、頭痛さんはブロックされていますのでこれは期待できないでしょう。 「出典を示す責任は掲載を希望する側に」 に照らし合わせれば現状では除去でも良いと考えます。 長らく放置されていた記述なので簡単に改善されるとも思えません。 あとで出典をつけて復帰や加筆できる内容があるのならば、そうすればよいのではないかなあ。 --() 2020年6月4日 木 04:00 UTC いったん除去して、復帰する際は出典付与をお願いする形にしたほうがよさそうですね。 ありがとうございます。 --() 2020年6月18日 木 11:33 UTC 既に指摘している通り、原典の「要約引用」に過ぎない後半部分について原典以外の出典を要求する理由はありません。 また、前半部分についてもたった4週間の議論で百科事典としての有用性を損なう処置をすることには賛成できません。 一旦復帰したうえ、問題箇所に「要出典」テンプレートを細かく指定する形に改めます。 --() 2020年6月19日 金 09:04 UTC 「ウィキペディアの編集者が行うのは編集であって検証・分析ではない」と申し上げた通り、差異について書きたいのであればそれなりの専門家が分析したものを元にすべきでしょう。 シンプルな疑問なのですが、バレエ版での改変内容をこの記事で詳しく説明する理由は何でしょう。 すでにバレエの記事があるわけで、バレエの内容はバレエの記事に書けばよく、バレエでの特別な改変内容や詳しい原作との違いなどはそちらに書いたほうが読者に親切であろうなと考えています。 この記事では簡単にこの作品を原作にした翻案(『はしばみ割り物語』)がバレエの原作になったことに触れているだけで充分ではないかなあと思うのです。 (『はしばみ割り物語』は単独記事がないので、この項目で節を建てて説明してもよいかもしれませんが)--() 2020年6月19日 金 14:28 UTC いったん1-3ヶ月程度調査に充てましょう。 それで上手く情報が集まらなかった場合、のステップ1-3は果たしたので、ステップ4の投票に移らざるを得ないと考えます。 --() 2020年6月20日 土 12:02 UTC 複数の問題が絡み合っているので整理して議論する必要があるかと思います。 ざっと思いつくだけでも• 出典不備状態で、そのことに対する指摘も無い状態で長期間放置された内容を安易に除去することの是非• 出典が明示されている内容(具体的には文学作品の原典)を単に要約した記述に対して、その「要約行為」の出典が必要かどうかという問題• 出典が明示されている内容を単に比較した記述に対して、その「比較行為」の出典が必要かどうかという問題• 対象作品とその派生作品の関係を、どちらのページでどこまで記述するかという問題 があります。 全てをまとめて論じると、私自身も混乱してしまうので、とりあえず話を絞ります。 当面の手続きの問題として「安易に除去することの是非」とそれへの対応に関連して、私は遡雨祈胡さんの 2020年6月18日 木 11:34 UTC の編集はの冒頭にある「記事が乱暴に破壊された場合」に該当する(少なくともそれに準じる)と考えています。 確かに、遡雨祈胡さんは編集行為の目的を明確に表明されており、その目的自体は極めて妥当なものですが、その目的に対する手段としては全く不適切で乱暴であり、しかも影響が深刻で緊急の対処が必要と判断しました。 長期間放置された状態というのが、単なる「出典不備状態」ではなく、それに対する「指摘が全く為されていなかった」状態であることを軽視しないでいただきたい。 しかも、それが認識されたあと、少しだけ議論して、議論をまとめる動きも無く、単に議論が止まっていたのです。 この状態で、いきなり悪影響の大きい処置を採ることが妥当とは全く思いません。 --() 2020年6月20日 土 13:58 UTC まずDakarananyanenさんの仰る1点目「出典不備状態で、そのことに対する指摘も無い状態で長期間放置された内容を安易に除去することの是非」ですが、およびをベースに実施しております。 確かに議論が成立していないところで強行したのは安易すぎたとは思います。 そちらに関しては申し訳ございません。 そもそもの話ですが、Dakarananyanenさんはこの対立する意見のやりとりに関して、妥協点を探られるおつもりがございますか。 現時点でDakarananyanenさんのご意見の出し方を伺っていると、ご意見は述べられてますが、どうされたいのか、WP:BURDENに対する反対意見で方針やガイドラインを参照するでもなく「自明な論理で導出できること」としか言葉を伺えておらず、ご自身が妥協点を探るためにどういった行動を取るおつもりなのか、見えてこないように感じております。 それですとゴールが見えないので、申し訳ないのですが示してもらうことはできますか(変更することになったらそれはそれでしょうがないものと思っております)。 2点目はどちらのセクションについて述べられているか確認させて頂きたいです。 3点目に関しては井戸端を見てきました。 、、あたりが参考になるのではないかと考えております。 基本的に出典はあらすじも含めて書けるものなら書いた方がいいのでしょう。 あらすじで載せる場合の気になる点としては、今回は文章だからまだいいですが、映像作品や別種のメディアだった場合、 どこまでやればいいのか(文章ならページで、ビデオなどであれば章や秒数の区間などで示せるかもしれませんが)というので悩む気はしますが、いったんそれは今回の議題から逸れるので外します。 4点目については、当方の意見ですとこちらの記事でなくてバレエの記事に書いた方がいいと思います。 理由としては、バレエが著名なのは予想できるのですが(こちらに関しても調べた方が確実ですので調べますが)、結局バレエがメルヒェンをベースにした作品であれば、バレエが元と比べてどう変わったのか、という話の展開をしたほうが、棲み分けがきれいにできるように感じられます。 それに「バレエは書いているのに他の作品は書かないのか」という議論を避けられる可能性が高いとも考えています。 それを対象が増えるたびにやると、膨らむのはいいのですがそこばかり膨らんでも主たる「くるみ割り人形とねずみの王様」のページよりそちらの要素が大きくなり過ぎる気がします。 要は「二次作品の全般的な話について触れるのは構わないが、個々の詳細は個々の記事の方が適している」という考えです。 いずれにしても二度も三度も同じ話をするのはしんどいので、出典付けてからそうするようにはしたいです。 Help:以前の版にページを戻す方法に関しては差し戻すのであれば過去の版から編集ができると思うので、今後はそちらでお願いしたいです。 差し戻すたびに告知が来るので。 「指摘が全く為されていなかった」といっても、そもそも指摘してもDakarananyanenさんが情報不足を理由に差し戻されていたというところについても、伺っても宜しいでしょうか。 --() 2020年6月20日 土 14:58 UTC コメント 概要の内容を解題へと移動させました。 このとき、元々の解題節の「バレエ『くるみ割り人形』(1892年初演)の~フランス語版が元になっている。 」はもともとの出典(と予測される大島訳版)とは別の電子版で確認しており、元版から変更があるのか不明なので概要で書いたものを利用しました。 解題の「この物語はもともと~~イメージが重なる」のあたりは出典が明らかになれば有用であろうなと考えています(友人の子供のために作ったという話は何かのエッセイでちらっと読んだ気がするのですが…)。 一応は参考文献として出典が挙げられていますので、確認できるようであればこの箇所は残したいです。 「デュマ版は登場人物の行動を~~に変更されている。 」の部分については、除去してもこの作品の解説はできると考えています。 差異に触れるとしても主役の名前の変更程度ではないかなと。 なんにせよ記事作成直前の「Wikipedia:出典を明記する」 2013年8月26日 月 20:56 時点 でも記事末尾に参考文献を記載する場合の注意点として「2. 参照すべき場所、範囲を明確に示す。 通常はページ番号を付記する。 」とされていますので、記事作成当時から出典の示し方が不適当であったのでしょう。 参考文献に示されている資料はできるだけ調査したいなとは思いますが、近くの図書館には無いのでちょっと厳しいです。 --() 2020年6月22日 月 01:38 UTC 「安易に除去することの是非」に関しては、の記述は、特に除去に関しては「弱すぎる=安易に過ぎる」と、このガイドラインを最初に読んだときから思っておりました。 特に、今回のように• 出典情報に不備があるが、確かな出典が存在するのではないかと推測できる• しかし、状況から考えて元の執筆者による補記は期待できない• 新たに出典検索することも容易とは思えない という状況の場合には、出典不備であるという注釈を付したまま長期間公開し続けることは已むを得ないというのが私の個人的な考え方です。 出典不備という意味で質が劣ることを明示することは当然に必要なことですが、そのうえで公開し続けることは、Wikipediaとしての社会的責務だと考えます。 「要約行為の出典」と「比較行為の出典」はいずれも2020年5月21日 木 11:46 UTC に私が挙げた部分です。 本件ではこの2つの問題が常にセットになっていますが、一般論としては別々なので別個に列挙しました。 御紹介いただいた「井戸端」をざっと拝見しましたが、似て否なる論点が多いようですね。 熟読しきれていないので、実は直接的に関わる議論があるのかもしれません。 もう少し熟読してみたいと思います。 いずれにしても、このような出典は、2020年5月22日 金 12:50 UTC に書いた理由で、あるに越したことは無いが、無いからといって無理に探すものでもないと考えています。 「どちらのページでどこまで記述するか」については、私の頭の中でも論点が整理しきれていないので、現時点では言及を差し控えておきます。 多数の要因が複雑に関わっており話がややこしいということだけ御伝えしておきます。 Strangesnowさんのように簡単に結論を出してしまうことには強い違和感を覚えます。 --() 2020年6月22日 月 09:17 UTC 五月雨で申し訳ございませんが、もう少しDakarananyanenさんの意見を伺いたいので、もう二点質問宜しいですか。 に社会的責任に関するWikipedia側の在り方がある程度示されていると思うのですが、それについてどうお考えですか。 に「ウィキペディアは中立的な観点に基づきます。 これは、どの観点に基づく主張もしないような項目を書くように努力することを意味します。 時には、複数の観点を記述する必要もあるでしょう。 その場合、各々の観点を正確に記述します。 また、各々の観点の背景を説明することにより、その観点は誰の主張なのかを読者が理解できるようにします。 そして、どの観点も「真実」や「最良の観点」と紹介しないようにします。 中立的な観点に基づくということはまた、可能な限り検証可能で信頼できる出典を明記するということをも意味します。 とりわけ論争となりがちな話題では出典の明示が求められます。 どの版が最も中立的なのかで対立したときには、冷却期間を置くことを宣言して、項目に論争のあることを示すテンプレートタグをつけてください。 ノートページで詳細を詰めて、手順に沿って論争を解決してください。 」とありますが、こちらに触れる可能性についてはどうお考えですか。 お手数ですがお返事をよろしくお願いいたします。 --() 2020年6月22日 月 10:29 UTC 「免責事項」についてですが、これはあくまで「そういう品質を保証しない」というものであって、「そういう品質を追求しない」というものではありません。 もちろん、「感情を害するものでないこと」「専門家のアドバイスを提供する場ではないこと」などは、全くそういう品質を目指すものではないと規定しても良いかもしれませんが、合法性や正確性などには「方向としてはそれを目指してはいるが、結果的に到達できていないことは容認する」という側面があるでしょう。 つまり「追求レベル」と「保証レベル」の間にギャップがあるということです。 そして、いま問題になっているのは、まさにこの「追求レベル」と「保証レベル」のギャップに挟まった状態にある情報をどうしようかということなのですから、そこの違いを正しく意識して議論する必要があると思います。 「五本の柱」に「触れる可能性」ということですが、何が「触れる」とお考えなのでしょうか。 もし「出典不備であるという注釈を付したまま長期間公開し続けることは已むを得ない」という私の考えが「触れる」と主張されるのであれば、それは全くの誤りです。 「不備である」という情報が伝わらない状態で公開しているのならともかく、「どのように不備であるか」つまり「どのような品質の情報であるか」を明瞭に明示して示すことが「中立的な観点」云々に反する余地は全くありません。 --() 2020年6月24日 水 10:44 UTC 出典が少し手に入ったので加筆するのと、議論をまとめるので少しお時間いただきます。 しばしお待ちください。 --() 2020年6月24日 水 22:58 UTC.

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