烏 滸 が まし い 意味。 「おこがましい」の意味と使い方とは?類語/例文/漢字表記など

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烏 滸 が まし い 意味

「烏滸がましい」とはなぜ 「烏」と「滸」という漢字が使われているのでしょうか。 「烏」は鳥のカラスのこと、 「滸」は岸やほとりを意味します。 その二つが合わさると 「愚かなこと、ばかげていること、またその人」という意味の 「烏滸」(おこ)になるのです。 「ばかげている」という意味ですが、これは中国から伝わったものです。 滸(ほとり)に集まった人たちが騒いでいる様子を 烏(からす)に喩えました。 烏は鳴き声が大きいので、集まった様子を「やかましくばかばかしい」と感じたのではないでしょうか。 馴染みのない漢字を使った「烏滸がましい」という言葉ですが、このような語源があります。 他にも「おこがましい」を表す漢字は、愚かなことを意味する「痴」というものもあります。 「痴(おこ)がましい」です。 「烏滸」も「痴」も、良い意味では使われないですね。 ちなみに 「身の程知らず」という意味で使われるようになったのは、近世になってからのことです。 「出すぎていて生意気、身の程知らず」という意味の「烏滸がましい」という言葉ですが、似たような意味の言葉が多く存在します。 ここでは特によく使われる類語をご紹介します。 「厚かましい」 図々しく遠慮がない• 「差し出がましい」(出しゃばった態度、立場をわきまえず余計な言動をする)• 「僭越(せんえつ)」(自分の立場や権限を越えて出すぎる) 「厚かましい」は単に「図々しい」ことを表しますが、「 差し出がましい」と「僭越」は「立場をわきまえる」という意味が含まれています。 「差し出がましいですが」「僭越ですが」と文頭につけると、思慮深く相手に物を言う印象があります。 目上の人に使う場合が多いでしょう。

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烏 滸 が まし い 意味

概要 に「ヲコ」もしくは「ウコ」として登場し、「袁許」「于古」の字が当てられる。 には「烏滸」「尾籠」「嗚呼」などのが登場した。 平安時代には、特に物真似や滑稽な仕草を含んだ歌舞やそれを演じる人を指すようになった。 後に散楽は「」として寺社や民間に入り、その中でも多くの烏滸芸が演じられたことが、『』に描かれている。 『』(巻28)や『』など、平安・のには烏滸話と呼ばれる滑稽譚が載せられている。 また、 嗚呼絵(おこえ)と呼ばれる絵画も盛んに描かれ、『』や『』がその代表的な作品である。 ・に入ると、「気楽な、屈託のない、常軌を逸した、行儀の悪い、横柄な」(『』)など、より道化的な意味を強め、これに対して単なる愚鈍な者を「バカ()」と称するようになった。 になると、烏滸という言葉は用いられなくなり、馬鹿という言葉が広く用いられるようになった。 参考文献• 山本吉左右「烏滸」(『日本史大事典 1』(、1992年))• 義清阿闍梨(嗚呼絵の第一人者であったと伝えられている)• (同上).

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嗚呼∥烏滸(おこ)とは

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「七つの子」は、大正10(1921)年「金の船」七月号初出の野口雨情作詞、本居長世作曲の童謡です。 歌詞については、作曲段階での本居長世と雨情の相談で、「古巣に」が「古巣へ」になるなど、若干の変更がありますが、多くの人が知る歌詞は以下のとおりです。 文脈としてはシンプルでわかりやすいものですが、長らく論争の原因になっているのはタイトルにもなっている「七つの子」の七つと、「山の古巣」です。 論争は鳥類学博士・清棲幸保の「カラスは七羽もいちどきに育てず、せいぜい雛は四羽くらい。 また、七歳といったらカラスではとっくに大人だから七歳でもおかしい」という趣旨の疑問を呈したことから始まりました(泉漾太郎著『改訂版 野口雨情回想』 筑波書林)。 ちなみに「金の船」の挿絵には七羽の雛が描かれていて、挿絵画家も自然に「七羽」と解釈したようです。 それに対して言語学者の金田一春彦氏が七歳説を唱えます。 「七歳」というのは古来伝統的に子供時代のど真ん中の意味であり、母親が子供に「からすにも山にお前と同じ七歳の子がいるのよ」と教えることは自然である、と主張しました。 するとこれに児童文学作家で評論家の藤田圭雄が反論します。 「七つというのは古来『たくさん』の言い換えであり、たくさんの子供たちが親ガラスを待ちわびているさまをあらわしているのだ」というわけです。 しかし、これらの一般論と擬人化を駆使した七羽説も七歳説も、「山の古巣」という箇所でつまづいてしまいます。 擬人化するのであれば、七歳の子供がいる親は一般的にまだ若い年齢で、子育て世代は総じて若い家族です。 つまり、カラスを科学的現実的に見ると歌詞がおかしい、ということになり、擬人化して解釈してもやはりどこかおかしい、ということになってしまいます。 作者の間違いでしょうか?しかし、北原白秋・西條八十とともに、童謡界の三大詩人と誉れ高い野口雨情。 到底そうとはいえないでしょう。 ミステリアスな童謡詩人・野口雨情 「七つの子」の作詞者の野口雨情は、明治15 1882 年、茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)で生まれました。 「七つの子」のほか、「赤い靴」「証城寺の狸囃子」「シャボン玉」「こがね虫」「十五夜お月さん」など、誰もが知る童謡のスタンダードを数多く作詞しています。 名家の生まれながらその人生は破天荒で枠にはまらず、それは作品にも現れています。 きわめてシンプルで素朴純朴でさえありながら、どこか不条理でミステリアス、落ちのない作品が多く、同じくミステリアスな作品の多い西條八十が近代的で観念的なのに対して、埋もれた土くさい民俗や人間の根源的な感情や感覚にじかに触れるような魅力と不気味さが共存しています。 」と拘泥しない態度を示していました。 が、その言葉とは裏腹に「七つの子」に先立つ明治40 1907 年、雨情は「山烏」という詩を発表しています。 烏なぜなく 烏は山に 可愛い七つの 子があれば ここでも「七つ」が出てきます。 雨情の述懐は嘘ではないでしょうし、カラスやキツネはみんな友達、といつくしんでいた雨情の優しい気持ちが生み出した詩であることも間違いではありません。 が、「七つ」や「古巣」と言った言葉のチョイスには、雨情があえて言わずにいる隠れた意味が、実はあったのではないでしょうか。 雨情の祖先をたどると「七つ」「カラス」「古巣」が現れ出た 雨情の実家は茨城で廻船問屋(かいせんどんや。 江戸~明治時代、河岸や港で商船を相手に積荷を運送・保管・取次などの業務を行った)を営んでいました。 野口家はかつて水戸徳川家藩主の御休息所「観海亭」を営んでいた名家でしたが、元をたどれば鎌倉末期から南北朝時代の河内の豪族・楠木正成の実弟・楠木正季(くすのきまさすえ)であると伝えられています。 「太平記」によると、後醍醐帝の臣下として兄・正成とともに活躍し、鎌倉幕府を討ち果たしますが、後醍醐帝と対立した足利尊氏との「湊川の戦い」で敗れ、正成とともに自刃します。 自害の際、「七生まで同じ人間に生まれて朝敵を滅ぼさばやとこそ存じ候へ」(七生滅敵)と誓ったとされ、この七生滅敵が太平洋戦争の有名なスローガン「七生報國」となりました。 また、別名を龍泉七郎とも呼ばれていました。 「七生滅敵」「七郎」・・・七が繰り返し登場するのは偶然でしょうか。 楠木正成は、知らない者のない有名武将ですが、楠木氏の出自由来は謎が多く、ある時期突然河内に出現します。 一説では水銀を取り扱い財を成し、豪族として次第に大きくなっていったといわれます。 水銀は船底に防腐剤として使われる「丹砂」を煮詰めると抽出されるものであり、もとは楠木家は瀬戸内海・紀伊半島で楠で作った船の水軍を率いた一族だったようです。 そして、楠木を「くすのき」と読むのは実は当て字で、本来は奇しき(くすしき・霊妙なという意味)木の意味でクスの本字は「樟」となります。 大阪府八尾市にある樟本(くすもと)神社は祭神は布都大神、饒速日命(にぎはやひのみこと)。 これらは物部氏の祖霊であり、樟本神社は物部氏の氏神社なのです。 つまり、楠木氏の祖先は物部氏なのでした。 その家系図も伝承されているのです。 物部氏は古代日本を一時期平定し大王でもあったが、後に朝廷から追われて滅びて怨霊となった、「もののけ」の語源となったとされる一族です。 樟本神社の境内には丁未の乱(ていびのらん・587年)で蘇我氏との戦いに敗れ討ち死にした物部守屋の首を洗ったとされる池が存在します。 楠木氏の末裔である野口雨情が、物部氏につながっていることがわかりました。 さて楠木氏の出身地である紀伊・熊野にある熊野大社の主祭神である家津美御子大神(けつみこのおおかみ)とは、素盞鳴尊(すさのをのみこと)のことであり、その眷族(手下となる動物)は八咫烏(ヤタガラス)。 ここでからすが登場します。 奈良の物部氏の本拠であったとされる石上神社の付近の古名は「布留(ふる)」、神社の後ろにある山も布留山と呼ばれ、袖ふる山とされました。 からすの子が棲む「山の古巣」とは、はるか遠い昔、戦いに敗れて滅亡した物部氏の神である盞鳴尊、布都大神、饒速日命を祭る山。 野口家の家督を継いだ雨情は、受け継がれてきた家伝を、伝えられていたでしょう。 また全国をまわり、民謡や民話を採集し、それを基にした新作民謡や童謡を多く作っています。 日本の民族の基層にある精神や血脈に触れ、そしてそれが物部氏につながる自身の出生とも強くかかわっていることを強く意識して、密かに歌詞にこめたのではないでしょうか。 筆者は「七つの子」の結びの「丸い目をしたいい子だよ」というフレーズが好きで、そのからすの子を抱きしめたくなります。 歴史を経た古族の思いと、素朴で愛らしい歌詞、それが同居し得ていることこそ、雨情童謡のすごさです。 雨情の童謡にはまだまだ不可思議な作品がたくさんあります。 いずれ紹介できたらと思います。 参考文献 野口雨情 平輪光三, 佐々木靖章 日本図書センター 参照サイト.

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