倉田 まり子。 【あのタレントの引退・独立ウラ事情】「兜町の風雲児」との醜聞で追い込まれた倉田まり子さん 出演料500万円!TV各局争奪戦 (1/2ページ)

倉田まり子の現在

倉田 まり子

10年前のことだ。 かつて「兜町の風雲児」と呼ばれた元投資ジャーナル会長、中江滋樹氏が、滋賀にある自宅を放火しようとして逮捕された。 1984年に投資ジャーナル事件で逮捕され、実刑判決を受けて服役。 92年に仮出所したが、その後、行方不明だった。 中江氏とともに再びクローズアップされたのが倉田まり子だった。 投資ジャーナル事件当時、人気絶頂の倉田は、中江氏がらみのスキャンダルで引退に追い込まれたのだ。 キッカケは84年9月。 写真週刊誌「FRIDAY」が創刊1カ月前に発行したテスト版に掲載されたのが倉田と中江氏のツーショット写真だった。 長髪に口ヒゲのむさくるしい中江氏が、満面笑顔で倉田の肩に手をかけていた。 ファンが騒然となったのはいうまでもない。 倉田は79年にデビューし、日本レコード大賞新人賞を獲得。 NHK「レッツゴーヤング」の司会も務めた売れっ子。 一方の中江氏は「株の買い付け資金融資」名目で約7800人から584億円を集めたが、百数十億円が戻らず、警視庁が捜査に乗り出していた。 「写真は赤坂の高級料亭で、中江がオーナーの月刊誌の取材の際に撮ったものが流出。 写真の値段は数十万円とも数百万円とも言われていました」(芸能プロ関係者) PR.

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【麻原彰晃?】中江滋樹が死亡?アイドル:倉田まり子は愛人?

倉田 まり子

閉じる 今も昔も、スキャンダルによって人生を狂わされたアイドルは多い。 ここに取り上げる倉田まり子も、スキャンダルの疑惑をマスコミによって煽られ、痛くもない腹を探られた結果、芸能界からの引退を余儀なくされた一人である。 長崎県出身の倉田は、地元で行われた視聴者参加型の歌謡番組に出場した際、スカウトマンにその実力を認められて高校1年のときに上京。 1979年に『グラジュエイション』でデビューすると、日本レコード大賞新人賞を受賞するなど、順調なアイドル人生をスタートさせた。 その後も、サードシングル『HOW! ワンダフル』が江崎グリコの人気商品、ポッキーのCMソングに起用されて大ヒットし、人気を不動のものにする。 また、歌手以外にも、テレビドラマ出演や声優などの活動をマルチに行い、人気アイドルの一人に数えられていた。 しかし、80年代に入り、倉田は松田聖子などの新世代アイドルに押され、落ち目となっていく。 そこへ降って湧いたのが85年の「投資ジャーナル事件」で、これにより倉田の芸能活動は完全に断たれてしまうのだ。 中江は雑誌上で利用者から金を徴収して銘柄を紹介したほか、保証金を追加すれば預り金の10倍以上の融資を受けられるとした。 しかし、実際は預かり証を渡すだけで株式の引き渡しは行われず、数百億円を詐取したとされている。 この中で取り沙汰されたのが、中江と倉田の関係だ。 事件の渦中で、写真週刊誌『FRIDAY』が、中江に肩を抱かれている倉田とのツーショット写真を掲載。 奇しくも、この時期に倉田が目黒区に7000万円ともいわれる豪邸を建てていた事実も相まって、マスコミは倉田が中江の愛人で、詐取された金がこの豪邸に流れているのではないかと追及したのだった。 この件について、倉田は完全に否定したものの、中江が自社の社員を金で口説いた逸話を掲載する週刊誌もあり、さも中江と倉田の関係は既成事実のように報じられた。 これによって倉田は芸能界から身を引くことを余儀なくされたのだった。 最終的に税務署の調査によって、倉田が豪邸の資金を借金で賄ったことを証明する借用書が見つかり、この疑惑は解消されたが、時すでに遅く、豪邸も税務署の差し押さえにより失うはめに…。 もともと、この中江と倉田の接近は、中江に出資させることで事務所からの独立を果たそうとしていたマネジャーが、自ら画策したものだったとされており、ある意味で倉田が芸能界引退に追い込まれたことは、こうした独立の動きへの制裁であったとの見方をする関係者も多い。 後年、中江自身もこの疑惑について、4〜5回デートしただけで肉体関係はなかったことを週刊誌の取材で告白している。 倉田は芸能界引退後、法律事務所の秘書や資格試験予備校の執行役員などを務めた後に、キャリア・カウンセラーとして独立し、2015年には東京学芸大学の特命教授となっている。 ある意味、キャリアの重要性を痛いほど知る倉田が、この職を選んだのは当然だったと言えるのかもしれない。

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倉田まり子 アイドル部門 恐怖の追跡〜あの人たちは今?〜

倉田 まり子

本名は坪田まり子(つぼた まりこ)… 当時の芸名である「倉田まり子(くらた まりこ)」さんの名前を出せば、ご存知の方も多いのではないでしょうか。 そして倉田さんが巻き込まれた「投資ジャーナル事件」に関しても記憶に残っている方も多いでしょう。 名前:坪田まり子(つぼたまりこ) 罰名:倉田まり子(くらたまりこ) 本名:坪田 真理子(つぼたまりこ) 生年月日:1960年11月20日 職業:キャリアカウンセラー、元歌手、元女優 学歴:日出女子学園高等学校 Sponsored Links 1979年にデビューし透き通るトパーズボイスでファンを魅了し、「グラジュエイション」やポッキーのCMソング「HOW! ワンダフル」などのヒット曲で大人気を博したのが元歌手・女優の「坪田まり子」さんです。 ただ、そんな華々しい活躍をしていた倉田さんは1984年9月… 写真週刊誌「フライデー」の創刊準備号に掲載された一枚の写真が原因となり、芸能界引退に追い込まれることになります。 掲載された写真は赤坂の料亭の一室で撮られたものでした。 硬い表情の倉田さん(当時23才)の隣に口ひげをたくわえた長髪の男性… 写真は彼がにこやかに笑いながら彼女の肩に手回している写真でした。 倉田さんの肩に手を回していた男性は、当時「兜町の風雲児」と、もてはやされていた投資ジャーナルグループ会長・中江滋樹氏(当時30才)です。 当時の投資ジャーナル社と言えば、自社が発行する証券雑誌で「絶対に儲かる」株式売買のテクニックを披露するとともに、雑誌上で推奨銘柄を買うと偽り、利用者から500億円以上の現金を詐取したとして、倉田さんとの写真が掲載される直前の1984年の8月24日、警察に摘発されていました。 一方、倉田さんは1984年1月に東京・目黒に新居を購入しており、およそ7000万円とされる代金を小切手で支払っていました。 料亭で中江氏と並んだ写真が掲載されたことで、世間の注目は倉田さんに集まったのです。 当時、マスコミは倉田さんが中江氏の愛人であり、投資ジャーナル事件で集められた現金の一部が倉田さんの新居購入金に流れたと書き立てました。 そのため1984年の10月1日、倉田さんは釈明会見を開くことになります。 会見では倉田さんは中江氏の愛人であることを否定… 自宅の購入資金は「月50万円の返済という条件で借りた。 中江氏からではない。 」と語ったのです。 しかし、会見から半年後の1985年3月… 倉田さんは「週刊宝石」に手記を公開して、愛人疑惑は否定したものの、7000万円の購入資金を借りた「バンキング」という銀行が一般の金融機関ではなく、中江氏の会社であると告白したのです。 当時、7000万円は贈与ではないかという噂も流れましたが、倉田は何か代償を求められたことはなく、月50万円の返済計画もきちんと立てていたと釈明しました。 この点は東京国税局も購入資金が借入金であることを確認しています。 その後、倉田さんは自宅を5000万円で売却し、残金は投資ジャーナルの税金滞納分として国税庁に返済することになりました。 事件の原因について中江氏の税務顧問が取材に応じ、中江氏が倉田さんを引き抜いて芸能プロをつくる計画だったこと、また融資は倉田さんを投資先として考えていたことなどを語り、事件は次第に沈静化していったのです。 巻き込まれた形となった倉田さんには同情の声も寄せられましたが、彼女は「芸能界はイヤになった」とその後引退してしまいます。 ちなみに事件発覚後、中江氏は海外逃亡を続けていましたが、1985年6月に逮捕… 1989年に懲役6年の実刑判決を受けることとなります。 仮出所後、しばらく消息不明でしたが、2006年には自宅に放火しようとして逮捕され、再び話題となりました。 芸能界から引退後の倉田さんは25歳で国際法律事務所の秘書として再出発… 資格試験予備校LECの執行役員・講師を経て2003年に独立起業を果たします。 また、2010年からはキャリアカウンセラーとして活躍、本名の坪田姓で東京学芸大学の特任教授にも就任しています。 現在でも芸能界やマスコミとは距離を置く姿勢を取っているものの、ファンサイト主宰者らによる同窓会に参加するなど、当時のファンと交流を持っているそうです。 それにしても倉田まり子さんの芸能界からの転身振りには、本当に驚かされてしまいます。

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